2017年12月29日金曜日

12月29日

年末になると、日本の経済各誌は一斉に翌年の政治経済予測を特集します。中に「さらば平成30年」という見出しがあります。自分では《昭和世代》と自覚していましたが、平成の世も30年生きたことになる《団塊世代》なのであります。

博報堂生活総合研究所が「生活者が選ぶ2018年ヒット予想」を発表しました。キーワードは4つの『ひとり助け』です。

まず『お金』を助ける。「格安スマホ」(1位)で通信費を抑える。自ら売り買いできる「フリマアプリ」(9位)ネット時代の流通経費を抑える節約術なのでしょう。

『時間』を助ける。「宅配ボックス」(2位)、自分の都合のいい時間に荷物を受け取れます。「無人レジ」(8位)で手早く精算。「時短家電」(17位)、「家事代行」(30位)、ウーン、日本てとても忙しいんだ。あるいはやりたいことがいっぱいある?

『能力』を助ける。「高齢ドライバーの事故防止策」(2位)、「自動運転システム搭載車」(6位)、IoTの技術向上(13位)、アナログ世代は身につまされます。

『つながり』を助ける。「インスタ映え」(11位)は疎遠な人間関係を結ぶツールなのでしょうが、介在物がないと結びつきが生まれないのでしょうか。「民泊」(14位)、既存の観光商品に体温を感じないのでしょう。

男女別にみると、男性では《モノ系》のテック、女性では《ヒト系》のサービスが上位を占めているとのことです。

さて、我がカトマンズの来年は?12月中旬に定点観測地点のアサントール・インドラチョーク間の昔ながらのバザールとダルバールマルグの新興商店街を歩きました。前者は暮れの上野アメ横のような人込みで、歩くのももみ合うような人込みです。商品は何十年も変わりのないごとくです。後者は世界のブランド品の店が軒を並べていますが、店内は閑散としています。

出稼ぎ送金がGDP総額の3割相当にふえているので、消費経済は大いに伸びています。中央銀行が通貨供給量を抑え気味でも。食べ物系、衣料系の店が次々に開店しています。商品はどこも似たり寄ったりの金太郎飴ですが、うち数少ない一味違う店は繁盛しています。
消費者のニーズをかまわない売り手意識が強いネパールの経済では、商品の多様化はもとより品質の向上は望めそうにありません。

皆様の来年の抱負はいかがでしょうか。よいお年をお迎えください。


(スガジイ)

2017年12月22日金曜日

12月22日

カオリンの『Momoのつぼ隊員体当たりレポート」は回を追うごとに絶好調で、読みながらよだれが出てきそうな描写です。『事務局だより』とともにHPを大いに盛り立てています。『スガジイ』もそろそろ戦力外通告されそうです。

そこで、Momo(チベット=ネパール蒸し餃子)の懐メロ版かくありきとご紹介します。時は19725月、ところはタヒティチョウクとチェトラパティの中間、現在の「居酒屋Raku」の近くで、ネワールの伝統的な4階建て長屋、その3階のアン・ラクパ・シェルパの居室です。

ディリバザールにあったタカリー族のスッバ(地方長官)インドラ・マン・セルチャン経営のラリーグランスホテルで同宿だった高久幸雄さんと知り合いました。高久さんはアンナプルナII峰の偵察登山できていました。同じころ旅行に来ていた多美子さんとはその後結婚してVan Vanレストランを経営します。

高久さんの登山用品買い付けにお供をしてアン・ラクパに出会います。そのころ彼は数少ないサーダー(シェルパのチームリーダー)でした。前回登場したソナム・ギャルツェンなどは実力はあるもののまだまだ若手の域を出ません。腰は低いのですがなかなか商売上手なのもシェルパ族のDNAを受け継いでいます。

彼は何度かシェルパ料理をごちそうしてくれました。ネパールのダルバート(野菜炒め、豆スープ、ご飯の定食)に飽き飽きしていた舌にはどの料理もおいしく感じます。中でもMomoは絶品といっていいでしょう。少し厚めの皮に小籠包を小さくした形で、アンから肉汁がじわっと垂れてくるのです。今どきのようなソースはなかったような気がします。

その頃はまだまだネパール人の間にMomoが知られていない時代でした。タメルチョークの近くのチベットレストラン「ウッツェ」に本家チベットMomoがありました。チベット難民の経営で今の「ウッツェホテル」の前身です。このホテルで「ギャコック鍋」を頼むとついてくる餃子が昔のままです。オヤジはホテル経営を娘に任せているものの、レストランには奥さんともども元気に顔を出しています。


カオリンが生まれる前の「元祖Momo話し」でした。

(スガジイ)

2017年12月15日金曜日

12月15日

石川汎監督「世界でいちばん美しい村」を監督のご厚意で日本人会の会員向けに上映していただきました。2年前の4月の地震の震源地の村ラプラックの住民の悲しみと復興の足取りをドキュメンタリーにしたものです。人口4,000人のグルン族の村ですが、この村だけのグルン語方言を話すそうです。

主人公の家族も参加してくれました。皆さんカトマンズは初めてだそうです。バスに乗ったのも。主人公の長男は聴衆の前で実に堂々と挨拶します。カトマンズで就学したいとのことです。食事を一緒にしてもらいましたが、初めての日本の食べ物をおいしそうに楽しんでいたのにはほほえましさを感じました。

この家族と話しながら、私の時計は45年前にさかのぼります。当時、東部山地オカルドゥンガ郡のルムジャタール村に1年間住んで農村社会調査をしていました。ここもグルン族の村です。

この村まで、ラムサングからチャリコット経由で1週間歩きました。エベレストに登頂してきたばかりのソナム・ギャルツェン・シェルパがガイドしてくれました。

寝る場所は民家の軒先です。食事も民家で作ってもらうことがありました。謝礼は1ルピー(当時で18円)です。高地の茶屋ではジャガイモの蒸したのを出してくれました。ピンポン玉程度の大きさが格段においしいのです。私の足が遅くてバザールに行きつかないときは、ソナムが野の草を摘んでサーグ(菜っ葉)炒めにします。

モンスーンのさなか毎日ヒルに吸われます。雨の中を山中の掛け小屋に泊まった時です。見知らぬ人をナイフで刺した夢を見ました。朝起きると手のひらにべっとり血がついています。正夢かと慌てますが、夜中にヒルが吸い付いた痕でした。

オカルドゥンガバザールから1時間ほど離れたテカンプール村にミッション系の病院があり伊藤先生とご家族が住んでいました。ここに着いた途端激しい嘔吐と下痢に襲われました。山中の食事や水からジアルジア原虫をもらって発症したようです。今日に至るまで、体力が落ちた時に発症します。

目指す村まであと4時間です。村では下宿先を決めて一度カトマンズに戻ることにしました。帰路は道を南にとってスンコシ河を越えてジャナクプールに出ました。


(スガジイ)

2017年12月8日金曜日

12月8日

このコラムで時々数字を使います。前回のPM2.5の話題でも引用しました。数字は物事を比較するのにとても便利な道具なのです。しかし使いようによっては無味乾燥なシロモノに映ります。

私は自分では論理的でなく情緒的な性格と思っています。中学3年の2学期に突如数学の解き方がわからなくなり、それ以来数字がとても怖くなって嫌いになりました。とてもショッキングな出来事であり、トラウマとなっています。

サラリーマンを経験された皆さんはいつの時代が楽しかったとお考えですか。私は何といっても平社員時代でした。現代のように残業時間管理も厳しくなく、毎日深夜帰宅の状態でしたが、任された仕事の結果を見るのが快感でした。失望も随分味わいましたが。

管理職になると不快な仕事が増えます。部下の管理は大嫌いでしたし、上司との夜の付き合いには辟易としたものです。何よりも事業の結果は数字で出てきますが、数字のプレッシャーは耐え難いものがありました。部下の業績評価の点数付けほどつらいものはありません。

カトマンズで日系企業の経営相談にあずかり決算分析や期中の数字の意味合いを指導するようになると、やはり数字があまり好きではないネパール人の幹部に生き物としての数字を教えるよう腐心することになります。自分の現役時代にこのことに気づいていればもっと楽しく仕事ができたかと後悔するばかりです。

さて、スポーツの評価はすべて数字で結果が示されます。ゴルフなど打った数を競う単純なゲームです。ところがカウンティングが曲者なのです。スコアを意識するあまり、特に終盤になると残りホールをボギーで上がれば100が切れる90が切れると数え始めます。途端に平静心を失い結果は惨めなものになります。

今年日本で4回プレーしました。どのコースも美しくて、歩くだけで気分がよくなります。コンペでもスコアは気になりません。とにかく無心のプレーが楽しいのです。

数字とは今後も付き合わざるを得ませんが、数字に拘泥して物事の本質がゆがめられないように気を付けたいと思うこの頃です。

(スガジイ)

2017年12月1日金曜日

12月1日

ダサイン、ティハールと秋のお祭りの間日本に帰っていました。10月下旬にカトマンズに帰任した私の鼻はすっかりPM2.5測定器になりました。

もともと40年来花粉症に悩まされています。カトマンズでもヒノキに似た木の花粉が飛ぶ2-3月はつらいものがあります。ここ10数年カトマンズに住んで鼻炎は慢性化してしまいました。それにしても今年の秋の空気の汚れはひどくないでしょうか。

部屋にいるときはそれほど感じませんが、大通りに出ると途端に鼻がムズムズしはじめてくしゃみが出ます。カトマンズの秋は空がもっと澄んでいたような気がします。飛行機から街を見るとくすんで見えます。

最近Numbeoから世界の269都市の大気と水の汚染度ランキング(2017年半ば)が発表になりました。我がカトマンズは堂々のワースト5位です。10位までに南アジアの6都市が入っています。

ニューデリーが13位であるのが不思議です。ニューデリーのPM2.5500/㎥(マイクログラム/立米)を超え、学校が休校となったばかりです。インドはワースト5020都市がランクされています。

ネパール環境局の発表では、ラトナパークで103.5/㎥を記録しています。リパブリカ紙には首都圏17観測点の平均値が毎日掲載されていますが、朝の7-9時が最も高く60-70/㎥です。アメリカ大使館の観測でも70-80/㎥です。

ではガイドラインの数値はどの程度なのでしょうか。世界保健機構(WHO)で25/㎥、ネパール政府で40/㎥です。41-75/㎥は体の弱い人にとっては有害、76-150/㎥は高度汚染でマスク着用を推奨、150/㎥以上は危険、要安全措置、となっています。

カトマンズの大気汚染は自動車の排気ガスが主要因と思われます。この一年の軽油、ガソリンの輸入額の増加はすさまじいものがあります。解決策は自動車のハイブリッド、電気動力への転換が有効と思われるのですが、簡単ではなさそうです。

最後にベスト5をご紹介しましょう。上位からウエリントン(ニュージーランド)、オタワ(カナダ)、レイキャビク(アイスランド)、キャンベラ(オーストラリア)、チューリヒ(スイス)の順です。


(スガジイ)