2024年8月2日金曜日

逍遥 ネパールの明日を創る子どもたちにエールを2 #176

ネパールの明日をつくる子どもたちにエールを(2)

 

梅雨が明けて、二十四節季の大暑が過ぎ、セミの鳴き声が一段と大きくなった。あとひと月この暑さと付き合うことを考えるとうんざりする。なにせ、炎天下に10分もいるとめまいがしてくるほどの日ざしである。

5月から4週間ほどネパールに出張した。事務所の引っ越しと秋のプロジェクトの準備が目的であった。一番暑い時期になってしまったのは、某団体から依頼されていたネパールの障害者福祉に関する調査報告書の作成や、NPO法人の年度末の理事会、総会やら行政への報告書提出時期が重なってしまったためである。52年前に始めてカトマンズを訪れた日と一日違いであったのが時の流れを感じさせた。ジャカランダは変わりない華やかさで街を彩っている。

引っ越しは考えていたよりも早く4日で済んだが、日ごろ力仕事をしていない身にはこたえた。帰るまで疲労が抜けずじまいの始末である。新事務所は故宮原巍さんのトランスヒマラヤン・ツアー社の一室を娘のソニアさんのご厚意でお借りした。近くに格安のホテルがあり、定宿とする。

さて、NPO法人のあらましについては先に拙稿でお知らせしたが、今年は地固めの年として、協力者を含めて実施体制を一層強固にする。現地カウンターパートには旧知のクリシュナ・カティワダが代表するNGOを起用し、ティルガンガ眼科病院の小児眼科医スリジャナ・アディカリ女史に総合的に眼科医療部門を見てもらう。これまでも高度な診断、治療は最終的にはティルガンガにゆだねていたのであるが、これで一元化できる。女史の同僚医師を現場に派遣してもらって、学校教師対象の啓蒙活動も容易になった。

この秋にダディン郡2校でプロジェクトを実施するのに先立ち、打合せのため当該校を訪問した。おなご先生ニルマラ・ガイリピレが教えているサルバス校は8年制で113人の児童と10人の教師である。校長はこの集落はダディン郡の中でも貧困集落だという。ニルマラは隣村の出身だが、嫁いでこの村に移り、出稼ぎ中の夫の両親と暮らしている。

他の1校はプリトゥビ・ハイウエーの対岸にあるクリシュナの村アダムタールにあるサティヤワティ校、12年制で663人の児童と38人の先生がいる大規模校である。校舎も鉄筋コンクリート4階建てが3棟ある。近年生徒数が減少しているとかで、使っていない教室が目立つ。都市に近い公立校は子どもを私立学校にとられる傾向にある。教師の質や義務教育修了試験の合格率で私立校がまさっているのが大きな理由という。この学校にはキャンティーン(簡易食堂)があり、6年生以上の公費給食が出ない児童はここで食べるようだ。

この学校の児童数が急激に減少している理由は、少子化と私立学校に子供を通わせるほどに家計が改善していることにあると思われる。少子化はネパール全体の問題として人口ピラミッドを見るとよくわかる。家計の向上はここでもご多分に漏れず海外出稼ぎによる所得増がみられるが、純農村地帯である村の野菜栽培によるものが大きい。ネパール随一の交通量を誇る国道沿線に位置し、しかも大消費地であるカトマンズに近い。野菜の品質も次第に改善されてきている。

50年前のカトマンズの野菜の供給は、近郊のリングロードの外周の村やティミ、バクタプール等からのもので足りていた。朝早く天秤棒で売りに来る光景は季節の風物詩ともなっていた。90年ころからの人口の増加、家計の向上そして外食文化の流行が農産物の需要増を招き、また宅地の郊外への拡張に伴う農地の減少がともなって、供給地を近隣郡の村落からタライ地方まで広げた。

この結果、農家の現金収入はこれまで考えられないほど増えたが、流通が依然として整備されておらず、農家の取り分は不当に少ないものがある。アダムタールの近隣のマレクは国道が開通した70年代から川魚料理を売りに発展したバザールである。90年代初めの水害を機に新たなバザールを野菜の集積地として自然発生的な「道の駅」が形成された。農産物流通の一つのモデルであろう。農村の学校を活動の場としているところ、産地経済の課題も考えてみたい。

2024年7月24日)