2026年9月20日日曜日

逍遥182 Gen Z運動って何だ? (3)

逍遥182 Gen Z運動って何だ? (3) 

選挙は風がふいた?

35日投票の下院議員選挙はラストリア・スワタントラ党(RSP)の圧勝であった。275議席のうち165の小選挙区で125議席(得票率は44.17%)をとり、比例で57議席(47.84%)の合計182議席である。

私は、投票日の10日前までカトマンズに出張していた。親しいネパールの友人に予想を聞いて回ったのだが、このような結果を言い当てた人はまれであった。一つには私の知人が比較的高年齢の人たちだったといえる。若者の投票性向が読めなかったのだ。もう一つは農村社会の変容であると思われる。私の情報源の一つである農村部出身者の多いタクシー運転手の中には新しい政治家に期待を寄せる人がいた。

RSP圧勝の要因と既成政党(ネパリコングレス:NC、統一共産党:ULM、旧マオイスト:NCP)の敗因を対比してみよう。 

                    RSP                既成政党

有権者の心理        変化への期待       汚職・権力闘争とたらい回し政権への失望

世代構造           都市部の若者       農村部の高齢者

リーダーシップ       バレン、ラミチャネ効果  G-Zen抗議活動で失墜した幹部

社会経済状況        経済停滞の責任問う   国内産業育成に成果なし

                 海外在住者が若者流出を問題化して既成政党を批判

選挙戦術           SNS駆使、分散型ネットワーク

                                   村落組織依存の旧来型

若者の支持を受けたRSPの立候補者の年齢層はどうだろうか。結党時2022年の選挙と比較すると、45歳以下は減っており、46歳以上で増えているのがわかる。全党候補者でみると30歳以下の割合が微減、60歳以上が4.47%も減少しているのに比べると、必ずしも若者を意識した候補者選定ではなさそうである。ちなみに既存政党では、NC60歳以上の候補者の割合を22%も減らしている。男女比にしてもRSPに目立った変化はない。

政治学者のサンジーブ・フマガインが欧州ポピュリズム研究センターのインタビューで興味深い選挙結果を分析している。Z Genの不信は政党のみならずメディアや大学等のエスタブリッシュメント全体に向けられていた、しかしこれらの政治的問題(説明責任欠如、統治の不全、政治的・官僚的な癒着等)を提起して最前線に立っていたのは既存主要政党の出身者であり、したがってこの運動は草の根からではなく「上」から沸いた声と理解できると。

RSP党首のラミチャネはこれほどの当選を勝ち取るとは想定していなかったのだろう。選挙後の党大会では多くの新人議員を統率するための規制的な党則を制定した。新人議員が能力、意欲、倫理観を維持して旧政党の負の遺産を超克できるか党首自身が不安であるに違いない。さらに当選し多くの議員はこれまで他の既成政党の党員として活動している。歴史の若い政党を運営する難しさがある。

華々しく登場したバレン首相

まさに満を持しての登場の様子であった。さすがラッパー、カトマンズ市長の実績を誇示することとなった。しかし、首都とはいえ地方自治体と国政の運営は異なる。市長時代の街を清掃する、路上の物売りを一掃する等の小手先の手法は通用しない。手始めに河川敷等の不法居住者を追い払ったが、その先の救済措置がなかった。あまりに乱暴ではないだろうか。

RSPのラビ・ラミチャネ党首は政策スタッフを用いて策定した「100項目の改革アジェンダ(ロードマップ)」を公表した。行政のスリム化、非政治家の統治改革、デジタル国家化、反汚職、経済成長・雇用創出、農業の近代化、教育改革、Gen Z運動・マイノリティの救済、等々の包摂的な国家再構築プランである。各項目は実行のタイムスケジュールを付した。ネパールの政治ではこれまでにない信じられないスピード感である。

さて、政府はロードマップの100日の評価を発表した。自己採点では87.2%の達成である。民間のメディアや独立機関の評価は3038%と低い。着手段階を達成とカウントし、オーディナンス(行政命令)発出を成果としているが、諸政策の制度化が遅れていることを辛口評価している。 

Petit Rajaに陥る危うさ

ロードマップ諸項目のうちで行政改革に注目している。省庁再編では首相府の権限強化に危うさを感じる。1990年の民主化以降、権力の乱用と政治不安の繰り返しである。ネパールには制度より個人の意思が優先する政治文化がある。

権限の強化は短期的には行政の効率化にプラスとなろう。しかし、今回の省庁再編に伴うポストの削減は官僚人事を掌握する手段として官僚の独立性を弱体化させる。予算と公共事業の最終決定権が首相府に集約されたが、これまで既存政党が繰り返してきた権力の乱用が繰り返されることがないようにしたいものだ。

フマガインは、ネパールの政治は10年にわたってポピュリズムによってつくられてきた、その特徴は「政治の個人化」と議会や政党組織などの制度的メカニズムの周縁化である、この私物化がいくつかの主要な機関を機能不全に陥らせ、民主的な責任の持続性について根本的な疑問を引き起こしている、またこれは世界的な潮流の一部であるといっている。

Gen Zはバレン首相の市長時代の実行力や斬新な新内閣の政策に共感を覚えているのかもしれない。しかしこの世代はプロセスにはあまり関心を示さない。早期に目に見える成果を出す必要があろう。

202695日)

2026年3月6日金曜日

逍遥181 Gen Z運動って何だ? (2)

 

逍遥181 Gen Z運動って何だ? (2

 

Gen Zとは何者か

とっさに1960年代末の全共闘運動を思い浮かべた。私の世代である。アメリカのベトナム戦争反対、べ平連運動、原子力空母エンタープライズの横須賀寄港反対等の左翼活動が毎日のごとく報道され1966年に大学に入って間もなく刺激を受けた。これらに続いて、東大の医学部でインターン問題が提起され、また日大では経営陣による資金不正使用発覚を契機に全国の大学に運動が広がっていた。これに先立つパリのカルチェラタン等の運動に刺激を受けて、世界的に学生運動の広がりを見たのである。

翻ってネパールのGen Zであるが、日を追って分かってきたのが、NGO活動をしているコアなグループがあるが、全体的にはソーシャルメディアの広がりで運動に共感した若者たちの集まりであることであった。政治家のネポティズムや汚職が共通のアジェンダである。そこには通底する思想基盤は見られない。むしろイデオロギーがないことが若年層を含めた広範な運動になったのであろう。抗議行動の過程で、他の勢力による暴動へと発展する中、いくつかのグループが大統領および軍と協議する機会を獲得したのは、既存の政治システムがほぼ崩壊したこともあり、一定の影響力を顕示したかに見えた。

暫定首相を選定するまでが彼らの政治関与の限界だった。いや、初めから政治に関与するとは考えてもいなかったのではないか。その意味では偶然性の強い運動であったといえる。全共闘運動のように運動の過激化が組織の力を弱めて消滅していったのとは異なり、自然にフェードアウトしていく運命にあるのだろう。社会意識に目覚めた若者を育んで。

既成政党は動いた

動けなかったのが本音であろう。統一共産党のオリ首相は官邸から軍のヘリで救出された。のちに議会の解散総選挙は憲法違反だとのステートメントを出すが、負け犬の遠吠えにしか響かなかった。ネパリコングレス党をはじめ多くの政党のリーダーが暴徒による暴力を受けた。家も焼かれた。身を守るのが精いっぱいであったのだろう。共産党マオ派のプラチャンダは若者に迎合するかのごとき意見表明。彼らには、この3党でなれ合いのごとく政権を交代したのだが、わいろ政治、縁故主義を顧みる意識改革はないであろう。なぜならば、これらは王政時代からこの方当たり前のようになされ、いわばネパールの統治の文化のようになっているからである。逆に見れば、民衆から権力者あるいは社会的地位を得た人、チネコマンチェへのおねだりでもある。持ちつ持たれつのなれ合い社会といってもいい。

辛くもネパリコングレス党の若返りがあった。Gen Z運動時に主要政党のユース組織が動くとみていたが、大きな流れに飲み込まれてしまったようだ。政党の内部からの改革を期待したのだが幻想であった。

 

表に出ない力が働いた

陰謀論めくが、全国各地で時をたがえずして役所等の建物が襲撃されたのはいかなる力が働いたのであろうか。各地の刑務所が襲われて収容者が逃走したのも、武器が暴徒の手に渡ったのも成り行きの出来事とは考えにくい。先にも述べたが、Gen Z運動には暴力の意思がなかったことは事実だろう。ましてやリーダーの中に全国区の影響力がうかがわれるものは見当たらない。

首都圏の警察機能がマヒしたと聞いた時、まず懸念したのが軍の動きである。うがった見方とは思いつつも、国軍の生い立ちは王様の軍隊である、新憲法下でどれほど意識改革が進んでいるか、一定の王政復古を標榜する政治勢力もある、暮らし向きがよくならない民衆の王政へのノスタルジーも聞こえる、等々妄想がわく。幸いにして軍の良識を得てことなくして済んだ。

インド政府がいち早く各勢力の抑制を促したと聞く。インドにしても若者の政治改革を求める運動がスリランカに始まり、バングラデシュ、ネパールと続いて、明日は我が身となりかねない。地域の盟主として経済大国とならんとしている今日、社会不安は避けたいところだ。最大人口の民主主義国において権力を集中させるモディにとって、中国を意識せざるを得ない。

事態の真相究明の作業が始まったという。はっきりとした検討結果は示されないであろう。大きな出来事で真相究明がなされたためしがない。ことをはっきりさせないことが、多様な社会集団からなるこの国の統治者から民衆までの生きる知恵なのかもしれない。

(2026年2月25日)

 

 

 

 

2025年12月29日月曜日

逍遥180 Gen Z運動って何だ? (1)

 

逍遥180 Gen Z運動って何だ? (1)

 

989日のGen Zによる激震から3か月たった。76人もの死者を出す惨事となった。1210日には暫定政権とGen Z代表との間で10項目合意がなされた。日本にいる身としては、あまりに短い間の政治的出来事を限られた情報源で追いかけるのが精いっぱいであった。メディアによっては、出来事をprotestmovementといったりrevolutionと表現したりしている。同一記事でも両表現を混在させている。いったいどんな活動であったのか、少し落ち着いた今、当時のネパール英字紙から、出来事を整理してみたい。

まず、出来事を時系列的にみていく。

94

ネパール共産党(UML派)オリ政権は、税制改正に伴う通信事業関連法の改訂による登録を怠ったことを根拠として、FacebookXYou Tube等26のソーシャルメディアプラットフォーム(SMP)を停止する措置をとった。

98

NGO Hami Nepalが組織したものや自発的に集まった数万人の抗議集会が当初は平和裏にマイティガルとナヤ・バネソールの連邦議会前で始まる。議会敷地のフェンスを登り始めた集会の一部の者に対し警察部隊が当初は非殺傷武器で対応したが、次第にエスカレートする中で発砲して少なくとも19人が死亡し347人が負傷する。暴徒化した勢力には政党の組織下のものもあったといわれる。暴動は全国各地に広がる

政府は夕刻にSMP停止命令を撤回し、内務大臣が辞任する。また、外出禁止令がカトマンズの他6都市に出される。

99

オリ首相は軍のヘリでシバプリの軍施設に退避する。抗議の群衆が中央政庁のシンガダルバール、最高裁判所、シタルニワス大統領官邸、バルワタールの首相官邸、シン副首相私邸、ネパール共産党(UML派)本部、ネパリコングレス党本部、複数の大臣私邸、バンダリ前大統領、デウバ前首相、カナル元首相、プラチャンダ元首相、ラナ外相等私邸、国会議員私邸等に放火する。地方でも地方議会政治家の私邸が放火される。

民間施設は、カンティプール・メディアハウス、チャンドラギリケーブルカー、CGグループ工場、バトバティニ・スーパーマーケット等が破壊される。

全国各地の刑務所が破壊されて、収容者が逃走する。

軍等の治安部隊が政治家をトリブバン国際空港に避難させ、その後空港は軍の統制下におかれ閉鎖される。農業大臣、保健大臣、ラストリヤ・スワタントラ党の国会議員21人が辞職表明する。

ギャネンドラ元国王が声明を出したことによって、一部の王制復活主張が表面化する。

軍は、深夜、首相不在の間、法と秩序を守るために国家運営に責任をもつ、との声明を発出し、軍部隊の街頭展開への協力をよびかけ、抗議活動団体に協議を求める。

910

暴徒の政府オフィスや政治家私邸への襲撃が依然として続く。軍は武装暴徒からの一部武器の押収を発表する。各地の刑務所襲撃が続き9日の脱走者と合わせ13,500人に上る。

抗議活動に参加する民衆間でオンライン通信ソフトDiscordを通じて、暫定首相にスシラ・カルキ最高裁判所長官を推す声が上がる。同ソフトの利用者は14万人以上になる。

911

ポウデル大統領、軍参謀長官、Gen Z代表が、軍参謀本部で暫定首相選定の協議をもち、Gen Z代表団はスシラ・カルキを主張する。バレンドラ・シャハ、クルマン・ギシン、ハルカ・ラジ・ライの名前があがる。ネパール共産党(マオイストセンター)が抗議団体への支持を表明。

912

スシラ・カルキが暫定首相に就任。ポウデル大統領が議会を解散し、202635日の選挙を表明する。

警察当局が刑務所からの脱走者がいまだ12,500人と発表する。

913

カトマンズの外出禁止令が解除される。市中は平穏を取り戻す。

914

カルキ暫定首相は、平静さと抗議活動に続く再建に協力するよう呼び掛ける。また、放火等は前もって計画されたものだとし、犯罪行為の責任を追及すると述べる。暫定首相の起源は6か月を超えないものとすると明言する。

 

なぜ政府はSMPの停止措置をとったのか?

1990年の第一次民主化運動以降、権力の座にある政治家たちは変わらない顔ぶれである。当時まさに働き盛りであった彼らも、すでに老齢の域に達している。ネパールの年齢中央値は25歳で、まさにGen Zと重なる。彼らにとってソーシャルメディアのない日常生活がいかなるものか、古い世代の政治家は気づくことはなかったのであろう。ちなみに、ソーシャルメディアのアカウント普及率は48%でお隣のインドの33.7%より高い。

この頃ソーシャルメディアでは政治リーダーの子息や親族が特権を利用したビジネスを享受し、庶民には手の届かない処遇を受けているという縁故主義が横行して、これらの人々をNepo Kid’と称して拡散されていた。これを嫌った停止措置といわれている。また、国内経済の停滞によって雇用の拡大が望めず、海外出稼ぎに頼らざるを得ない状況に若者のフラストレーションは高まっている。

権力者はSMPの停止によって事態が収まると考えたのだろうか。お隣の国と同様な統治手法で政権を維持できると考えたのだろうか。確かにこの国には絶対王制時代の残滓がある。70年代には王室の話は小声でしなければならなかったし、マオイスト内戦時代も同様であった。かつて郡長官(CDO)の権力は絶大であった。

地方分権化後の選挙で選ばれた首長たちがとてつもない権力を獲得したかのようにふるまっているのをしばしば見かける。私は民主化によって‘petit raja’(小さな王様)がたくさん生まれたと揶揄している。ネパールのビジネス社会ではトップの権限は絶大であり、No.2にトップの座を脅かす優秀な人材を置かないのが常である。最近の日本でも超優良企業が同様の弊害を除去できずに苦しんでいるのを見る。

教訓は「権腐(けんぷ)十年(長期に権力の座にいれば腐敗する)」と戒めている。  

 

20251220日)