逍遥181 Gen Z運動って何だ? (2)
Gen Zとは何者か?
とっさに1960年代末の全共闘運動を思い浮かべた。私の世代である。アメリカのベトナム戦争反対、べ平連運動、原子力空母エンタープライズの横須賀寄港反対等の左翼活動が毎日のごとく報道され1966年に大学に入って間もなく刺激を受けた。これらに続いて、東大の医学部でインターン問題が提起され、また日大では経営陣による資金不正使用発覚を契機に全国の大学に運動が広がっていた。これに先立つパリのカルチェラタン等の運動に刺激を受けて、世界的に学生運動の広がりを見たのである。
翻ってネパールのGen
Zであるが、日を追って分かってきたのが、NGO活動をしているコアなグループがあるが、全体的にはソーシャルメディアの広がりで運動に共感した若者たちの集まりであることであった。政治家のネポティズムや汚職が共通のアジェンダである。そこには通底する思想基盤は見られない。むしろイデオロギーがないことが若年層を含めた広範な運動になったのであろう。抗議行動の過程で、他の勢力による暴動へと発展する中、いくつかのグループが大統領および軍と協議する機会を獲得したのは、既存の政治システムがほぼ崩壊したこともあり、一定の影響力を顕示したかに見えた。
暫定首相を選定するまでが彼らの政治関与の限界だった。いや、初めから政治に関与するとは考えてもいなかったのではないか。その意味では偶然性の強い運動であったといえる。全共闘運動のように運動の過激化が組織の力を弱めて消滅していったのとは異なり、自然にフェードアウトしていく運命にあるのだろう。社会意識に目覚めた若者を育んで。
既成政党は動いた?
動けなかったのが本音であろう。統一共産党のオリ首相は官邸から軍のヘリで救出された。のちに議会の解散総選挙は憲法違反だとのステートメントを出すが、負け犬の遠吠えにしか響かなかった。ネパリコングレス党をはじめ多くの政党のリーダーが暴徒による暴力を受けた。家も焼かれた。身を守るのが精いっぱいであったのだろう。共産党マオ派のプラチャンダは若者に迎合するかのごとき意見表明。彼らには、この3党でなれ合いのごとく政権を交代したのだが、わいろ政治、縁故主義を顧みる意識改革はないであろう。なぜならば、これらは王政時代からこの方当たり前のようになされ、いわばネパールの統治の文化のようになっているからである。逆に見れば、民衆から権力者あるいは社会的地位を得た人、チネコマンチェへのおねだりでもある。持ちつ持たれつのなれ合い社会といってもいい。
辛くもネパリコングレス党の若返りがあった。Gen
Z運動時に主要政党のユース組織が動くとみていたが、大きな流れに飲み込まれてしまったようだ。政党の内部からの改革を期待したのだが幻想であった。
表に出ない力が働いた?
陰謀論めくが、全国各地で時をたがえずして役所等の建物が襲撃されたのはいかなる力が働いたのであろうか。各地の刑務所が襲われて収容者が逃走したのも、武器が暴徒の手に渡ったのも成り行きの出来事とは考えにくい。先にも述べたが、Gen
Z運動には暴力の意思がなかったことは事実だろう。ましてやリーダーの中に全国区の影響力がうかがわれるものは見当たらない。
首都圏の警察機能がマヒしたと聞いた時、まず懸念したのが軍の動きである。うがった見方とは思いつつも、国軍の生い立ちは王様の軍隊である、新憲法下でどれほど意識改革が進んでいるか、一定の王政復古を標榜する政治勢力もある、暮らし向きがよくならない民衆の王政へのノスタルジーも聞こえる、等々妄想がわく。幸いにして軍の良識を得てことなくして済んだ。
インド政府がいち早く各勢力の抑制を促したと聞く。インドにしても若者の政治改革を求める運動がスリランカに始まり、バングラデシュ、ネパールと続いて、明日は我が身となりかねない。地域の盟主として経済大国とならんとしている今日、社会不安は避けたいところだ。最大人口の民主主義国において権力を集中させるモディにとって、中国を意識せざるを得ない。
事態の真相究明の作業が始まったという。はっきりとした検討結果は示されないであろう。大きな出来事で真相究明がなされたためしがない。ことをはっきりさせないことが、多様な社会集団からなるこの国の統治者から民衆までの生きる知恵なのかもしれない。
(2026年2月25日)