2024年8月31日土曜日

逍遥 ネパールの明日を創る子どもたちにエールを #175

 ネパールの明日をつくる子どもたちにエールを (1)

 

昨年11月から一月半ほどネパールに行った。カトマンズは一昨年に比べてコロナ禍の経済低迷からすっかり立ち直っているように見えた。新聞報道では消費者物価の上昇が伝えられていたが、数字だけ見るとこれまで何度もあったインフレの局面と大差ないように考えていた。だが、一年というタイムラグの故か感覚的に衝撃が大きかった。食料品、レストラン、タクシー料金などで実感した。

この度の訪問は、8月に立ち上げたNPO法人「ヒマラヤの星たち」の現地活動が目的であった。2017年から子どもの眼を守るプロジェクトのスポンサーであったヤマト福祉財団が主役の座をおりたが、現地の支援者たちの継続要望が絶え間なく届く状況に、NPOを立ち上げて事業を継続したものである。眼の事業に関連して学校の衛生設備である手洗い場やトイレの整備を付け加えた。また、貧困等の理由によって学校に通えない子どもの支援、障害児の自立支援、学校や村の防災事業の4本の柱を目的に設定した。

予算の制約から、対象の学校をカトマンズから近いゴルカ郡の2校とした。おなご先生スミットラ・ラナが勤務するパタンデヴィ校はプリトゥビナラヤン市から悪路を2時間走ったブリガンダキ沿いにある10年制で生徒数154人の中規模校だ。スミットラはラナ姓であるにもかかわらず、経歴書の宗教欄は仏教とある。聞けば母がグルン族であるよし。インターカースト結婚であった。彼女の出身校は川の上流のグルン族の村ピリムにある。

もう1校のイチャ校は8年制191人、ニシャ・グルンが勤務している。ニシャもピリムの学校出身で、スミットラ同様にポカラのさくら寮卒業生だ。この学校にはブリガンダキ沿いの道をドバンまで走る。2008年と11年に最上流のサマ村まで学校と寄宿舎建設のために歩いたときはアルガートから3日歩いた。サマ村まではさらに4日の行程である。今はここまで小型四駆車が走る。さくら寮の寮母を務めたマンジュ・ドジュが同行してくれる。

プリトゥビナラヤン市を出発する朝に多少下痢気味であったので一日中絶食する。しかし、その甲斐なく、トレッキング・ロッジでは朝までトイレ通いの羽目になった。学校は川から急な斜面を登ったフルチュク村にある。子どもたちは1時間で登るというが、4時間かかってしまった。チームのメンバーは2時間半で着いており、視力検査をしてくれていた。視力0.5以下の子どもを細隙灯顕微鏡で検査する。

パタンデヴィ校から1名、イチャ校から10名がカトマンズの再検査につれてくる。このうち、7歳の女の子は耳が聞こえず診療できない。耳鼻科に連れて行くが、耳垢が溜まっているとのことで除去するのに1週間かかるという。ゴルカの病院で再検査することにする。もう一人の14歳の女児は小児緑内障の疑いありと診断され、ティルガンガ眼科病院で再検査する。このあと2回も村と病院を行き来して緑内障の疑いから解放された。この子も含めて10人は眼鏡をつくって視力が回復して大喜びである。

衛生施設は、パタンデヴィ校のトイレに水が引かれておらず不衛生であったが、校長の要求は女生徒の生理時のトイレ施設の建設である。手洗い場がないので設置を勧めると、給食にはスプーンを使っているので問題ないとのこと。教師の意識改革の必要を痛感した次第。イチャ校は地震で全壊した校舎や衛生施設が内外のドナーによって新しくつくられており問題なさそうである。

就学困難児のアンケートには4人、3人とそれぞれ回答があったので、これから奨学金基金を学校ごとにつくるが、団体ごとの冠奨学基金(名称をドナーごとにつけることができる)を募集中である。わたしたちのNPO事業にご賛同いただき、皆様のご支援をお願いする次第である。

この地域は、2015年の震源地に近く、アルガートより上流が壊滅的被害を受けており、アルケットは大きなバザールに成長し、マチャコーラは長距離バスの発着点として集落の家屋数が5倍以上に大きくなっていた。ドバンも2件のロッジが新築して営業している。一方で、タトパニの3軒の家は地震から無縁のごとく以前のままの姿を維持していた。浴槽が新しくできたのは地震の後であろうか。

 

2024年7月5日)