2020年2月14日金曜日

逍遥 湯河原・カトマンズ #135

コロナウイルス対策とお国柄

1月29日のタイ国際航空バンコク-カトマンズ319便機内は一種異様な雰囲気であった。客室乗務員は全員マスクと医療用ゴム手袋の重装備である。羽田‐バンコク間の機内はマスクすらしていなかった。バンコクのスバルナブミ空港は旅行者がかなり少ない印象を受けた。

ネパールで新型コロナウイルス肺炎の患者が出たとのニュースは出発前に日本で聞いた。やはりカトマンズでは感染が拡大する兆候があるのかと心配になったが、トリブバン空港の検疫デスクには係官がいない。体温探知機らしきものは置いてあるが、果たしてどこでモニターしているのだろうか。

このころ、日本では中国湖北省武漢滞在の邦人救出のチャーター機派遣の表明が26日になされ、29日から一機ずつ4便を飛ばして多くの邦人が帰国できた。中国政府との調整に時間がかかったとのことだが、まあまあのスピード感といっていいだろう。問題は、第一便帰国者のうち二人が検疫収容を拒否して自宅に帰ったことである。人権を無視せざるを得なかったとのことであるが、もし二人が感染者であったらそこから拡大する被害が大きいことを想定すべきであり、二人の人権以上に公共の福祉が脅かされることを考慮しなければならなかったのではないだろうか。

もっとも、帰国者の経過観察機関の宿泊施設の当てがなかったとの報道もあった。政府が対策本部を設置したのが中国の国家主席が封じ込め宣言をして10日もたってからであり、30日の時点で中国全土に感染者が7711人、死者170が確認されているにもかかわらず、入国を制限したのは武漢滞在者のみであった。米国等は中国全土を対象とした。

いち早く中国との国境を閉鎖したのは北朝鮮であった。この国の指導者のキャラクターがよく表れていて興味深い。ネパール政府は30日にラスワガリの国境を閉鎖した。空港の監視体制に比べると迅速な措置である。そして政府は武漢滞在の自国人180人(ほとんどが留学生)救出のためのチャーター機をとばすと発表した。するとすかさずに保健省官僚から「収容施設がない」との反論が出た。さすがに〈ケーガルネ(どうしようもない)〉の常とう句は出なかったが。在北京ネパール大使館はチャーター機搭乗の希望者を募る際、土曜日に発表して翌日曜日の午前9時に申し込みを受付終了した。それでも多くの申し込みがあったということだが、この措置を見てネパール政府の本気度を疑った。周囲に押されていかにもやるかのごとく発表しても何もしないことがよくあるこの国の政治であり行政であることをこれまで多く見てきたせいなのであろうか。いかに政府の実行力を日ごろから冷めた目で見ていても、武漢滞在者のフラストレーションは募るばかりであろう。

小児眼科プロジェクトのカウンターパートである大学病院の眼科の医師は一人としてマスクをしていない。空港の検疫体制を伝えても、今のところカトマンズに感染の状況にはないと意に介さない。先のことを見るのがあまり得意でないこの国の人たちだが、専門家の様子に安心していいのか心配すべきか混乱する。

さて、発生源の中国だが、初動の遅れが指摘されている。12月初めには感染が確認されていたという。注意喚起した医師はデマを流布した理由で拘束された。政府の発表がその時から一か月もなされていない。権威主義的統治を維持せんがために隠ぺいを図ったとの見方が多い。のちに初動の遅れを認めるが、党の求心力が弱まったに違いない。国家のエリートが立場の保全を図ってうそを重ねた結果、真実から疎外されていた人たちに明らかになった時には国力が毀損していたことは、わが日本は苦い経験をしている。

カンボジアの首相はいち早く北京詣でして、中国の立場を取り繕った。WHO事務総長は中国から経済支援を受けた国の保健相、外相経験者であるがために中国を擁護する発言をし、誤った施策を取らざるを得なかったという。中国が最大の貿易相手国である韓国も忖度の姿勢を見せている。さて、わがネパールは毅然とした姿勢で対処できるだろうか。真に国を思う政治家の腕の見せ所であるが、あまり悩ましく思わないのがいいところでもある。

(2020年2月11日)

2020年1月24日金曜日

逍遥 湯河原・カトマンズ #134


もうじき春なのに

明け方の雨が上がって庭の苔のみどりが鮮やかに映えている。1月中旬にしては温かな日差しがうれしい。今年はジャガランタの葉が付いたままなので平年より暖かなのだろう。

たわわになった夏みかんの実はいつの間にか成熟の色を増している。キンカンも少し黄色くなる。庭木をひとつずつ確かめてみた。しだれ梅はつぼみを紅くしている。早咲きの河津桜ももうすぐですよとばかりにつぼみをつけている。シダレザクラとソメイヨシノはまだ固い。カキやモクレンも準備を整えたようだ。秋におかしな葉の落ち方をした山椒を心配したが小さな芽が出ていて一安心する。

スイセンは二輪、三輪とつぼみをつけ始める。花屋の店先には寒さに強い花が咲き乱れているが、これらを買い求めれば鉢植えも路地ものも我が家に彩を添える。むしろ夏場よりも華やかな気がする。

このところ家に閉じこもることが多かったが、久しぶりに妻と買い物の外出をした。暮れに風邪をひいて寝込んでしまったが、いつまでも体がシャキッとしない。10月から12月にかけて2か月間ネパールで少し無理を重ねたのが体力を消耗したと思われる。

カトマンズに居を構えていた時と違って、1-2か月の出張を繰り返しているわけだが、短期出張ではどうしても行動予定を最大限に効率よくしようと無理を重ねる。もう若くはないのだからと自ら戒めるのだが、こころのすみにまだまだやれるとの意識が働く。最近の国内登山の事故を起こす年齢層は60歳以上が多いのだそうだが、若い時の記憶を引っ張っていて現在の体力以上のことをしてしまうのだそうだ。

自覚症状はある。ひとつには、歩行時の体のバランスが不安定になった。酒に酔った時のように感じる時がある。近所のおばさんが妻に「お宅の旦那がひょこひょこ歩いていた」とご注進に及んだが、自分はこのような歩き方をしているのかと自信を失う。これを修正する運動をご存知の方は是非教えてほしい。ふるい友人に訪ねたら、「ない」とにべもなく言われた。

ところで、最近家の体重計を変え変えたのだが、〈体組成計〉というそうで体重のほかにもいろいろな健康指標が表示される。今日の数値は次のとおりである。体重76.1㎏(理想体重67㎏)、BMI(体重/身長の二乗)24.2(普通)、体脂肪率19.1(-標準)、筋肉量58.4(標準)、内臓脂肪レベル15.0(過剰)、基礎代謝量1686(多い)、体内年齢57歳。まあまあ歳相応というところか。

我が家の愛犬ニマは15歳である。ある時体調をこわして動物クリニックに連れていき血液検査やエコー撮影をした。肝機能と腎機能が低下しているとのことである。薬と食餌療法で3ヵ月後にはすっかり改善される。以降3か月ごとに血液検査をするのであるが、人間より治癒能力は高いのかもしれない。耳は遠くなったが至ってはつらつとしている。
 
(2020年1月19日)

2020年1月17日金曜日

逍遥 湯河原・カトマンズ #133



11月28日 ムグリンで「〈おなご先生〉さくら寮」マネジャーのマンジュと落ち合い、カピルバストゥ郡でスジャータの学校に立ち寄ってコハルプールへ。
11月29日 バルディア郡の〈おなご先生〉ジャヤンティの学校で教職員にプロジェクト説明。48人の生徒の視力検査と面接。カトマンズ検診組、隣接郡のネパールガンジ検診組に分ける。テライの農村部だが、家のつくりもしっかりしていて豊かな感じがする。スルケット郡ビレンドラナガールに移動し〈おなご先生〉アンビカと合流。
11月30日 ダイレク郡ラカムでアンビカの実家に立ち寄り昼食をごちそうになる。〈おなご先生〉チャヤと帰途の検診の打ち合わせ。カリコット郡マンマ泊。カリコット郡も西の山地特有の急斜面に耕地がへばりついている生産力が低い土地柄である。
12月1日  ジュムラ方面へ40分車で行き、対岸のシェラ村を徒歩で目指す。標高差400m下って登り返す。〈おなご先生〉アムリタの学校はさらに30分上方だが下の学校ジャナジャグリ校で14人の子どもの視力検査と面接。出身の村を聞くと2人はなんと9時間かけて昨日の晩に着いたとのこと。携帯電話が普及したおかげで情報の伝達が早くなった。アムリタの家で昼ご飯をごちそうになる。西の山地でみられる赤米である。ダヒ(ヨーグルト)がおいしい。マンジュは村人同士のネパール語が理解できないという。帰りは村人が1時間であることころを4時間かかる。
12月2日  ダイレク郡ラカムで〈おなご先生〉チャヤとアニタが患者を集めて待っている。アニタは故郷のカリコット郡で教師だったが、結婚を機にバザールで雑貨店を営んでおり、その店先で面接。視力検査が珍しくて大勢集まる。バザールの人ごみの中での啓もう活動となる。チャヤの家で昼食。目の前を流れるカルナリ川の魚アサラのカレー炒めがおいしい。チャヤもアンビカもジャーティ(カースト)はマジで漁師カーストである。カルナリ地方の民謡に「魚を釣ったよ、ディディ(姉さん)赤い魚籠に何が入っているか見てくれ」という求愛歌がある。
      学校で校長に会うが眼のプロジェクトに関心を示さず。隣接の市役所の前の道端では村の名士たちが日向ぼっこ。女性の副市長が興味を示す。公選制になってから地方の首長は住民目線を持つようになった。以前のように地位に胡坐をかいていられないということだろう。
      スルケット郡ビレンドラナガールに戻る。〈おなご先生〉ミナが患者を連れてくる。同じホテルに某マオ系の大臣が泊まる。100人を超すお付と警備。威厳を示す大名行列なのかそれともこれほどの重警護が必要なほど治安に不安があるのか。行く先々でなんと経費のかかることか。どんな行事でも食事のおもてなしが不可欠なのがこの国の長年の慣習である。レストランは彼らで占領される。シェラ村でマンジュが子供たちに鉛筆を配ったところ、「子どもは鉛筆より食べ物を喜ぶ」との親の弁であった。カトマンズでもいまだに日常のあいさつが「カナカヨ(ご飯食べた)?」、80年代の中国のあいさつが「ツーファンラ(ご飯食べた)?」であった。西の村の男たちは昔からインドへの出稼ぎで家計を支えている。
12月3日  バンケ郡ネパールガンジに向かい、〈おなご先生〉プージャの教えるラストリヤ校で視力検査と面接。旧いバザールの雑踏の中の隠れた場所にある。校長によるとこの学校の生徒は経済的に底辺層の子女が多いとのこと。国境の町だけあって、初めて聞くジャーティ名が多い。ルパンデヒ郡ブトワルまで走る。
12月4日  シャンジャ郡に立ち寄りJOCV隊員赴任校プンニャシラ校で11月にカトマンズで診察を受けたディクシャに斜視矯正用の眼鏡を渡す。メガネの使い方を教える。3か月後に再検診することを校長に承知してもらう。JICAネパール事務所長の理解を得てJOCV隊員にも活躍いただいている。ゴルカ郡にも支援者がいて頼もしい。マンジュをポカラで落としてカトマンズに急ぐ。
12月6日  ルクム郡の患者二人は3回目のカトマンズである。4年前に日本のODAで完成した小水力発電所はカトマンズから車で2日半かかるが、彼らの村はそこからさらに奥へ山を越したところという。二人とも将来はカトマンズで上級学校に行きたい希望がある。カトマンズに出てきて世間が広くなったのはこのプロジェクトの副次効果なのかもしれない。いずれも片目を失明し、義眼を入れる手術である。
      サリヤンの少年も角膜を損傷して回復不能であり、義眼着装を勧めるも手術を回避した。ニム・バハドゥルは眼窩周辺の血腫で4回目の治療にやってきた。だいぶ回復しており、今回は斜視矯正用の眼鏡をつくった。3ヵ月後に再び治療の必要がある。
12月10日 ダイレク郡のほとんど視力のないナイナ・カタヤット(12歳)の盲学校への入学につき、キルティプールのラボラトリー校を訪ねる。資金を集めて入学させたい。失明を事前に防ぐ目的のプロジェクトであるが、これからは不幸にして失明してしまった子どもの教育や職業訓練を考えなければいけない。

(2020年1月4日)