2021年1月14日木曜日

逍遥 湯河原・カトマンズ #153

コロナ疲れ

 

この冬第二波の寒波が来た。日本海側は連日の大雪で人的被害が各地で起き、また高速道路で1,000台を超す自動車が閉じ込められている。12日に東京では初雪が降った。平年より9日遅いそうである。わが町は久々の雨、隣の箱根では雪だ。

 

小稿は1か月ご無沙汰してしまった。コロナの引きこもりでぐうたらしていると緊張感が次第に希薄となる。無気力症候群である。一方でコロナ感染第三波の中、8日から27日まで首都圏一都三県に非常事態宣言が出されたが、前回の宣言と比較して都市部の人出は2倍以上だそうだ。感染後重症化率が低い20歳台、30歳代の人に感染が広がっており、コロナ慣れによるものと警戒されている。今回の宣言は感染を拡散する場として飲食店に絞った営業時短要請である。また14日にも中部二県、関西二府一県、福岡県に発令されるという。

 

日曜日の新聞の書評欄を楽しみにしている。読売は10日「コロナ時代を読む5」として加藤聖文(日本近代史・東アジア国際関係史)が吉田満「戦艦大和ノ最後」を〈現在の新型コロナ感染拡大への対応が、太平洋戦争末期における不沈戦艦を取り巻く状況と二重写し〉という。〈日本の政策は、必ずしも科学的・合理的な基準とは言えないもので決まり、状況に応じて小出しにされるがゆえに、広く説得力を持たない〉〈ドイツのメルケル首相、イギリスのジョンソン首相にはそれができている…政治家に求められるリーダーシップがある…自分の言葉で、どのような根拠で政策を適時修正しているかを国民に明快に説明し、おおむね支持を得ている〉

 

指摘は当たっていると思う。そもそも日本の政治家や官僚は「お上意識」があるために国民への語り掛けは苦手である。そればかりでなく感染の拡大が始まってから一年たった今でも「対策のマスタープラン」が描けていないのではないかと心配している。それでも感染者数や死者数はドイツやイギリスと一桁違う。リーダーの発信力が優れていることのみでは説明できない。しかも我が国は国民の行動に法的拘束力を持たず「要請」ベースである。そこには他の国に類を見ない国民の行政への信頼感があるのではないかと思う。裏返せば信頼が薄らいだ時どうなるか恐ろしい。リーダーの首を挿げ替えただけではすみそうもない。与党自民党内では首相の足を引っ張る事態が出始めているらしい。

 

無駄飯食いの野党はどうでもいいが、政権与党議員のこのような意識の低下はさもしいとしかいいようがない。もっとひどいことが起きているのがネパールである。与党共産党の分裂騒動、それに端を発した議会解散、何を考えているのだろうか。いつもなら茶化して「な~んも考えてない」というところだが、時が時である、冗談では済まない。

 

ネパールの感染者数は確かに大幅に減っている。インドも減少しているからだろうか。首都圏三郡の一日の感染者数が半分以下になっている。それにもまして奇異に感じるのは、あれだけ猖獗を極めた第2プロビンスの感染者数増加がこのところほとんどないといっていいほど少ないことである。明らかにPCR検査数が減っている。資材の払底であろうか。それとも行政のサボタージュであろうか。それほど効果的な感染防止対策が取られたとは思えないのであるが。行政の「コロナ疲れ」は許されない。

 

ましてや連邦制が定着していないところ、中央政府と州政府、あるいは中二階ながらそれなりの機能を残している郡との間で有機的な作用が働いているとは見えない。日本ですら政府と県庁が特別措置法の下でうまく機能していない。ナイリー・ウッズ(オクスフォード大学)は〈今回のパンデミックで明らかになったように、アメリカでもイギリスでも、他国の政府や地方との連携構築が急務である。こうした連携が、パンデミックと戦う上でも、パンデミック後の回復に成功するうえでも極めて重要」と指摘する。(ニューズウイーク日本版119日)

 

2021114日)