2020年2月27日木曜日

逍遥 湯河原・カトマンズ #136


ベンダラとレカ

訓練士の穏やかな語り口の入所の勧めが続く。ベンダラは何も言わずに涙を流し始めた。ロカンタリにあるBP財団運営の小児耳鼻咽喉科リハビリテーション科病院(CHEERS)の障碍児用のホステルわきの陽だまりである。ここでは約20人の視覚障碍、ろうあ、知的障碍の子どもが社会適応の訓練を受けている。ちなみにこのホステルは日本政府の草の根技術協力事業で建てられた。

ベンダラにあったのは一年前にジュムラに行く途中のダイレク郡アータビス・ナガルパリカ(市)ラカムバザールの〈おなご先生〉アニタの店先だった。チャヤが先生をしている学校がある。卒業後は郷里の村で、今はスルケットの学校で教えているミナの母親が連れてきた。徒歩で二時間かかる山の上の集落という。それから間もなくしてカトマンズに来て診察したが、なおる見込みがないとのことだった。今年は予定していなかったが、ミナがあきらめきれずにつれてきた。

カトマンズ医科大学(KMC)付属病院の眼科で私のカウンターパートであるサビナ教授に見てもらったが、角膜が損傷して回復不能とのことであった。セカンドオピニオンを求めてCHEERSにいった。ここでの診断は、妊娠時の障害であり、手術をせずに今のかすかな視力の維持に努めたほうがいいとのアドバイスがあった。本人が受け入れたらリハビリ科で訓練することも考えて生徒たちの中に連れて行ったのだが、都会の施設での生活が不安なのだろう、村に帰りたいとのことである。

レカがCHEERSのリハビリ科に入所したのが去年の11月初めである。全盲だが、医者の診察を強固に拒むので治療のめどは立たない。家族にしか心を開かない精神障害を負っている。カンティ小児病院の精神科で二人の精神科医の診断を受けた。一人は自閉症といい、他は自閉症ではないが知的発達が4歳程度であるといい両親に今後の家庭での教育の仕方を教える。ベンダラと同じ12歳である。

一月の終わりに一か月ぶりに様子を見に行った。昼食時であった。入所してから2か月ほどはいつもうつむき加減で他者を寄せ付けないかたくなな姿勢が感じられたが、この日は姿勢を正して食事を楽しんでいる風である。他者との付き合う心が少しずつ芽生えてきたのだろう。食事の後洗い場で自分の食器をきれいに洗って、自分の口もゆすぐようになった。訓練士の日々の努力が目に見えて形になっている。

さて、ベンダラを連れて行った日のレカは以前のように子供たちのかたまりから離れて片隅にうずくまっている。入所以前は私が名前を呼んでもびくっとして身構えるのが常であった。そんなことから入所後は声をかけるのを控えていたのだが、この日は何となく名前を呼んでいた。「レカ」、「ハジュール(はい)」とはっきりした返事があった。人を怖がらなくなっている。この施設に入所してよかった。だが、入所期限はあと三か月である。そのあと何ができるだろうか。

2020223日)

2020年2月14日金曜日

逍遥 湯河原・カトマンズ #135

コロナウイルス対策とお国柄

129日のタイ国際航空バンコク-カトマンズ319便機内は一種異様な雰囲気であった。客室乗務員は全員マスクと医療用ゴム手袋の重装備である。羽田‐バンコク間の機内はマスクすらしていなかった。バンコクのスバルナブミ空港は旅行者がかなり少ない印象を受けた。

ネパールで新型コロナウイルス肺炎の患者が出たとのニュースは出発前に日本で聞いた。やはりカトマンズでは感染が拡大する兆候があるのかと心配になったが、トリブバン空港の検疫デスクには係官がいない。体温探知機らしきものは置いてあるが、果たしてどこでモニターしているのだろうか。

このころ、日本では中国湖北省武漢滞在の邦人救出のチャーター機派遣の表明が26日になされ、29日から一機ずつ4便を飛ばして多くの邦人が帰国できた。中国政府との調整に時間がかかったとのことだが、まあまあのスピード感といっていいだろう。問題は、第一便帰国者のうち二人が検疫収容を拒否して自宅に帰ったことである。人権を無視せざるを得なかったとのことであるが、もし二人が感染者であったらそこから拡大する被害が大きいことを想定すべきであり、二人の人権以上に公共の福祉が脅かされることを考慮しなければならなかったのではないだろうか。

もっとも、帰国者の経過観察機関の宿泊施設の当てがなかったとの報道もあった。政府が対策本部を設置したのが中国の国家主席が封じ込め宣言をして10日もたってからであり、30日の時点で中国全土に感染者が7711人、死者170が確認されているにもかかわらず、入国を制限したのは武漢滞在者のみであった。米国等は中国全土を対象とした。

いち早く中国との国境を閉鎖したのは北朝鮮であった。この国の指導者のキャラクターがよく表れていて興味深い。ネパール政府は30日にラスワガリの国境を閉鎖した。空港の監視体制に比べると迅速な措置である。そして政府は武漢滞在の自国人180人(ほとんどが留学生)救出のためのチャーター機をとばすと発表した。するとすかさずに保健省官僚から「収容施設がない」との反論が出た。さすがに〈ケーガルネ(どうしようもない)〉の常とう句は出なかったが。在北京ネパール大使館はチャーター機搭乗の希望者を募る際、土曜日に発表して翌日曜日の午前9時に申し込みを受付終了した。それでも多くの申し込みがあったということだが、この措置を見てネパール政府の本気度を疑った。周囲に押されていかにもやるかのごとく発表しても何もしないことがよくあるこの国の政治であり行政であることをこれまで多く見てきたせいなのであろうか。いかに政府の実行力を日ごろから冷めた目で見ていても、武漢滞在者のフラストレーションは募るばかりであろう。

小児眼科プロジェクトのカウンターパートである大学病院の眼科の医師は一人としてマスクをしていない。空港の検疫体制を伝えても、今のところカトマンズに感染の状況にはないと意に介さない。先のことを見るのがあまり得意でないこの国の人たちだが、専門家の様子に安心していいのか心配すべきか混乱する。

さて、発生源の中国だが、初動の遅れが指摘されている。12月初めには感染が確認されていたという。注意喚起した医師はデマを流布した理由で拘束された。政府の発表がその時から一か月もなされていない。権威主義的統治を維持せんがために隠ぺいを図ったとの見方が多い。のちに初動の遅れを認めるが、党の求心力が弱まったに違いない。国家のエリートが立場の保全を図ってうそを重ねた結果、真実から疎外されていた人たちに明らかになった時には国力が毀損していたことは、わが日本は苦い経験をしている。

カンボジアの首相はいち早く北京詣でして、中国の立場を取り繕った。WHO事務総長は中国から経済支援を受けた国の保健相、外相経験者であるがために中国を擁護する発言をし、誤った施策を取らざるを得なかったという。中国が最大の貿易相手国である韓国も忖度の姿勢を見せている。さて、わがネパールは毅然とした姿勢で対処できるだろうか。真に国を思う政治家の腕の見せ所であるが、あまり悩ましく思わないのがいいところでもある。

2020211日)