2021年2月5日金曜日

逍遥 湯河原・カトマンズ #154

『野の春』

 

昨日節分で豆をまく真似して恵方巻を食べた。今年の縁起よい方向は南南東だそうだ。

   節分の火の粉を散らす孤独の手  鈴木六林男

一日たった今日は立春である。

   立春の米こぼれをり葛西橋    石田波郷

 

節分は冬の季語、立春は春の季語なのだが、一日違いで心が躍るような気分になる。雲一つない晴天でそこそこ暖かく、老嬢ニマを連れて小一時間ほど散歩した。家に帰ると汗ばんでいる。

 

波郷の句は終戦の翌年に東京葛飾で詠まれた。荒川にかかっている橋か。私は終戦2年後の昭和22年の生まれである。いわゆるベビーブーマーの先頭で、何かとお騒がせ世代でもある。実は子どもの頃のことはあまり覚えていない。小学校のクラス会などで話題になることも、そんなこともあっただろうかとかと胡乱な記憶しかなく、覚えのいい人をうらやむことが再々である。

 

暮れに近くの本屋で宮本輝「流転の海 第1‐5部」を手にとり、明治生まれの作者の父親を描く大河小説であることもあるが、昭和22年に50歳にして初めて設けた子ども(作者自身)の育った社会背景をなぞってみようと読み始めた。全九部の大作である。ちなみに宮本輝の小説は30年以上も前になるだろうか「ドナウの旅人」を読んだが、ドナウ川にひかれたのが動機である。そしてネパール滞在時代の78年前に紀行文「ひとたびはポプラに臥す 16」であるが、これまた憧れの中国西域のエッセイである。

 

主人公松坂熊吾は戦時中一時軍隊にとられるが、ビジネスで大成功する。体の弱い息子と妻のため資産を整理して生まれ故郷の愛媛南宇和郡の田舎に移り住む。健康も回復を見て再び大阪に出てビジネスを始めるが、ある程度成功するとそれに満足できない。次々に始めるビジネスは必ずしも成功したとはいえない。くじけない主人公の根性と灰汁の強さが魅力であるし、まわりを彩るバイプレーヤーも波瀾万丈の人生を過ごす人たちである。私は大阪の街も人たちもあまりなじみがないが、素手で飛び込むには勇気のいる社会であろうと思うと腰が引ける。

 

バイプレーヤーたちは出会いそして次々に死んでいくのであるが、作者はあとがきで次のようにいう。〈私は今七十一歳。全九巻を書き終えるのに足掛け三十七年という歳月を要したことになる。三十七年もかけて、七千枚近い原稿用紙を使って、何を書きたかったのかと問われたら、「ひとりひとりの無名の人間のなかの壮大な生老病死の劇」と答えるしかない。それ以外の説明は不要だと思う。〉

 

物語の最後は以下のように終わる。

 

きょうはその熊吾を焼き場で焼く日だ。

房江はそう思ったとき、締め付けられるほどの哀しみに襲われた。

だが、近づいてくる隊列といってもいい十四人は、ホンギ以外は、沈痛ではあっても懐かしい人に久闊を叙するというようなある種の歓びのようなものを表情の裡に隠しているかに見えた。

私は、これに似た光景を見たことがあると房江は思った。新たな旅へと向かう人々がどこかの原野を楽しげに出発する光景だ。

 

私は自身の来し方を顧みることはあまりない。恥かき人生あるいは無駄飯喰いを過ごしてきたというある種の恥ずかしさがあるためか、あるいは生来の楽観的な性格ゆえか明日のことに気が行く傾向が強い。死についても、そうはなりたくないと思いつつも、どこかで野垂れ死にするような予感がある。

 

同年代の友人を見送る機会が増えた。友人の中には身の回りの整理をしてエンディングノーとなるものを準備したりしている。カトリックの洗礼を受けた人もいる。その人たちの生死観を聞いたり宗教書をよんだりすることがないでもない。きっと「今際の際」に慌てたり後悔したりするのだろう。後の祭りである。

 

202123日)