2018年10月19日金曜日

逍遥 湯河原・カトマンズ #115


お山の大将

5月も半ばを過ぎると初旬の爽やかさから蒸し暑い日に変わった。そんな中スポーツの世界で不快なニュースがあった。ルール違反の域を超えた犯罪ともいえるものだった。

アメフットの強豪大学同士の試合で、明らかに故意とみられる危険なタックルで相手選手を負傷させたのである。その後この選手は悪質な反則をさらに犯して退場となった。監督は最初に反則を犯した時点でこの選手を交代させるべきであった。監督の指示のもとでの行為であったとの報道もある。

大学の運動部は入部時期による上下関係が厳しい。ましてや指導者は神様のような存在である。個人の意向は組織の論理に飲み込まれる。ある種オウム真理教事件に見られるような全くの没個性状態になることが求められる状況下に置かれることもあるし、またそれにはまって酔うこともある。

高校の野球部の監督をしていた人がこんな事をいっていた。「高校球児の指導は難しい。彼らは『ハイ』と元気よく返事はするが、内容を理解しない単なるオウム返しだから」。だが、そういうふうにしつけたのはほかならぬ指導者である。

私は母校の運動部の監督をしたことがある。大した指導をしたことがあるわけではないが、最近会った既に50歳を超えた当時の学生からこういわれた。「監督はいるだけで怖かった」私自身指導者の言動がそれほど重いとは自覚していなかった。

日本レスリング協会のナショナルチーム監督による選手やコーチへのパワハラも最近の事案である。〈お山の大将〉になって周りが見えなくなった典型のように見受けられる。閉鎖社会の大相撲でいわれる「むり偏にげんこつ」の理不尽な慣習もある。

似たような組織がネパールで見受けられる。ビジネス社会である。多くは小規模企業でオーナー社長なのであるが、外資系でも合弁企業体でも大差はないようだ。企業トップはワンマン体質で、欧米企業のトップダウンの意思決定スタイルと自負しているが、実態は全く異なる。

ナンバーツーには、けして有能かつ野心をもつ人物を置かない。自己主張をする社員ははねられる。結果、向上心もなく可もなく不可もない仕事を淡々とこなすことになる。そして不満が陰にこもるか、無気力に自己保身に走るのである。

日本で成功して母国で凱旋起業した企業家がこぼした「ネパールで仕事はやりにくい、ネパール人は懸命に働かないから」。しかし、有能なスタッフが業績をあげる働きをしたら、この企業家は疎んずるにちがいない。

家族あるいは小さなコミュニティで常に緊密な上下の人間関係をたたきこまれたネパール人にとって、属するコミュニティの外は守ってくれる人がいない異郷である。

2018520日)

逍遥 湯河原・カトマンズ #114


椿と馬酔木とお地蔵さん

十国峠に鎌倉幕府三代将軍源実朝の歌碑がある。

「箱根路を わかこえくれは い津のうみや おきの小島に 波乃与る遊」

おきの小島は初島である。この日の相模湾も鎌倉の古と変わることがないであろう春の光の中にあった。十国峠とは、伊豆・駿河・遠江・甲斐・信濃・武蔵・上総・下総・安房・相模の十国を見渡せることから名付けられたという。

峠を15分程下ると日金山東光寺にでる。本尊に源頼朝が建立した延命地蔵菩薩がある。頼朝が旗揚げを期して伊豆、西相模の若手リーダーたちとの謀議の拠点とした伊豆山神社の元宮がこの寺である。日金山には昔から鬼がいるとされ、霊魂が集まる。春秋の彼岸にここに登ると参拝者の中に会いたい人のうしろ姿を見ることが出来ると言い伝えられている。小学生の頃は地元のガキ連で毎年登ったものである。

無住の本堂は20年前に来た時より立派に建て替えられていた。新たな霊園が開かれているが、昔のままの苔むした墓に歴史を偲ぶ。椿や馬酔木の雑木林が鬱蒼としている。花には若干遅れてしまったが、椿の落ちた赤が山道を彩る。苔の緑に映える。

本堂を後に尾根筋を行く。右に下る道が伊豆山からの参拝路で周囲が開けて明るくなる。さらに下って左に下る道が湯河原からの道である。こちらは周囲が鬱蒼としていて参拝路といっても古い道程標が有るばかりの山道だ。この道を行くとあまりに早く終わりすぎるので岩戸山を目指す。箱根笹の間を気持ちよく進む。冬のあいだは我が家の庭に来ていたウグイスが繁殖の季節を迎えて鳴き声を交わしている。

岩戸山の山頂は三角点がなければ見落としてしまいそうだ。休まず通過して山頂下から岩戸神社の小さな岩祠へ向かうことにする。この道から参拝路に合流できたはずである。分岐点をやっと見つけたが道はだいぶ荒れている。諦めて七尾峠への道をとる。いくつかのグループが登ってくる。こんなマイナーなコースでも歩かれるほどの登山ブームなのだろう。

七尾峠には新しい自動車道路が開け、会社の大型保養施設が数多く建てられており、道に迷ってしまう。このまま尾根通しに歩けば海辺の潮音寺までハイキングを楽しめるのだが、あまりの開発ぶりに嫌気が差して自動車道路を下った。

今年の秋の彼岸には、18歳で死んだ息子の後ろ姿を探しに参拝路を登ろうか。

2018510日)

逍遥 湯河原・カトマンズ #113


深海魚で街おこし

家に近づくと夏みかんの花の匂いが強くなった。病院で術後の診察を受けての帰りである。摘出した腫瘍の病理検査の結果が悪性でないと分かり気分が晴れたからであろうか。今まで気がつかなかったが、三本の木に白い花がびっしり付いている。今年は豊作かもしれない。

高校の電車通学はこの季節はみかん畑の間を通る湘南電車の車内に花の匂いが入り込んできて朝の眠気が覚める。朝に飲んだ新茶の香りがいつまでも口に残っているのもこの季節だ。農家の親戚が毎年届けてくれる一番茶。

一とせの茶も摘みにけり父と母  蕪村

東海道線は東京を出て平塚を過ぎると乗客が減り鄙びてくる。熱海で三両編成のJR東海に乗り換える。がんセンターは熱海のさき三島か沼津よりバスに乗る。両都市とも静岡県東部の中心都市だが、駅前とそれに続く大通りは衰退しているように見える。1980年代のバブル期に建てたビルに人の出入りが目立たないのが寂しい印象を与える。

マオイスト内戦後のカトマンズの急速な都市開発を見慣れた目には日本の地方都市の様子が惨めに感じる。カトマンズで日本の出張者から聞く地方経済の有様が実感として迫って来る。折しも春闘の季節である。大企業のベアが復活した。中小企業までは景気回復の恩恵が及んでいない。企業数では大企業はわずか1%であり、従業員数でも7割は中小だ。

娘が海外勤務から休暇で帰ってきたので、家族で「沼津深海魚水族館」に行った。沼津港の魚市場を中心に魚の加工場や食堂がある地域に、新たに水族館と高級感のあるレストラン群を整備したものである。

沼津の目の前の駿河湾は最深部2500mの日本一深い湾であるところ、水族館はここの深海生物を紹介している。レストランの「ウリ」はもちろん深海魚料理である。この日はゴールデンウイークの初日であったので、水族館もレストランも行列ができていた。まさに「今だけ、ここだけ、あなただけ」の観光開発原則を地で行く盛況ぶりである。

漁港の周辺で鮮魚料理店が評判を呼んでいる地域おこしはあちこちで見られる。テレビのグルメ番組の定番でもある。しかしどの地域も大騒ぎするほどの個性があるようにも見えない。そんな中で深海魚のインパクトは大きい。水族館とマッチングしたコンセプトも興味をそそる。あちこちにあるイルカのショーと差異化した「ここだけしかない」深海魚である。

いいことばかりではない。南海トラフの東の端が駿河湾である。南海トラフでは100200年の間隔で巨大地震が発生している。避けることができない災害であるが、防災対策を密に講じて被害が最小限になる事を祈るばかりである。阪神や東日本大震災のような辛い思いは御免被りたい。
201854

2018年10月12日金曜日

逍遥 湯河原・カトマンズ #112


大相撲とチョウパディ

大相撲地方巡業で、市長が土俵上の挨拶中にくも膜下出血で倒れるという事態が発生した。

周囲の人が土俵上でなすすべもないときに、観客の女性看護師が土俵に上がり心臓マッサージを始める。この時「女性は土俵からおりてください」と場内アナウンスがあった。
相撲協会は「人命に関わることゆえアナウンスが不適切であった」と謝罪した。

翌日は別の都市で女性市長が土俵下から挨拶して、「土俵上で挨拶できないのが悔しい」男女差別と非難する。さて、マスメディアはここぞとばかりに協会批判を始める。テレビのワイドショーではワイドショー芸人、弁護士が「人命に関わるときは良しとして、それ以外は否とするのはおかしい」と、わけのわからないことをいう。

土俵の女人禁制の伝統は明治以来とのことという。いろいろな説があるらしい。協会はその場限りの説明しかしていない。どうして「土俵は男の命懸けの場」だと言えないのだろうか。男性しか会員資格を認めなかったゴルフ場が、五輪大会の会場になりたいがために伝統を曲げたという軟弱な例もあったが、他にも男だけの結社があるだろうし、逆に男を排除する女性の集まりもあろう。それぞれに存立理由があるだろうし、それがなぜ他性の権利侵害なのか理解に苦しむ。

大相撲の土俵を神聖視する理由の一つに女性の生理を上げる向きがある。

ヒンズー教同様に「浄不浄」、血が穢れとの観念があるということだろう。ネパールでは「チョウパディ」に色濃く残っている。チョウパディとは、生理期間中の女性は家に入ることができず、離れた仮小屋や家畜小屋で過ごすことを強いられる慣行である。炊事はできず、コメ、乾物、塩のみで過ごす。牛乳、ヨーグルト、バター、肉等の栄養のある食べ物を取ることが禁じられる。

迷信では、生理期間中に、木に触ると実がならなくなる、牛乳を飲むと牛の乳が出なくなる、本を読むとサラスワティ女神(芸術の神)が怒る、男性が触られると病気になる、等々。

この伝統は西部ネパールのカス・グループ(11世紀以降ネパールに移入した山地のヒンズー民族)の間に色濃く残っている。201612月にはチョウパディ中の15歳の女性が狭い小屋で暖をとっていて、一酸化中毒死した事故が報じられた。毛布を使うことは禁じられ、ジュートの敷物のみが認められる。また、同じ年にヘビに噛まれて死んだ事例も。野獣やレイプの危険もあるという。

最高裁は2005年にチョウパディを非合法とし、2017年には法制化され(禁固3ヶ月または罰金3千ルピー)、20188月に施行される。伝統に最も固執しながら政治行政を牛耳るバフン(最上位の僧侶カースト)にしては英断であるが、悪しき慣行を改めるのは法のみでなく、教育がより有効なのではないだろうか。

2018414日)

逍遥 湯河原・カトマンズ #111


きさらぎの望月のころ

326日 
早朝成田着で帰国。自宅のしだれ桜が満開。この花を見るのも十数年ぶり。

「夕桜七十にして里ごころ」(小林敦子)。

禁酒を前に黒部の銘酒「幻の瀧」をたっぷり飲んで就寝

327日 
長泉町の静岡県がんセンターへ。東名高速脇の丘の上の絶景地、北に愛鷹山、富士山、南に駿河湾と遠くに天城連山。病室足下には病院の散策路に桜が満開。午後1時から内視鏡による胃の腫瘍摘出治療。この病院では手術と言わずに「治療」。寝ている間に何事もなかったかのごとく終了。一年間付き合った腫瘍ともこれでお別れである。点滴のチュ-ブが鬱陶しい。

328日 
午後の内視鏡検査まで水分をとることができない。喉の渇き。検査の結果が良好であるとして水分摂取が許されるが、今度は空腹感が激しくなる。テレビで高校野球を見ても新聞を読んでも集中できない。看護師の許可無くしてトイレに行き叱られる。夜になると若干落ち着いて小室直樹「論理の方法」を睡眠剤の代わりに眠りにつく。

329日 
朝5時に起きてカーテンを開ける。外の景色が清々しい。昼に五分粥とタラのムニエル、トマトのサラダ、ほうれん草とツナの和物、空腹感が満たされるとなんとなく気持ちに余裕が生まれる。活字もすんなりと頭に入るようになる。見舞いの妻と展望室で談笑。こんな夫婦の風景が今まであっただろうか。ドラマのような老夫婦。夜の病院食にはや興味を失う。点滴のチューブもはずれる。

330日 
朝、主治医からあすの退院を告げられる。病院内のコンビニに新聞を買いに行く。隣の人が退院。情報コーナー備え付けのPCで友人や関係先に退院予定をメールする。プロ野球開幕、ジャイアンツは緒戦を落とす。開幕戦ぐらいしゃにむに獲りにいけよ。今年もダメか。三食ともお粥を残す。健康な時でもそれほど多くは食べない。院内を歩いたので疲れたのか早く眠る。

331日 
朝、シャワーを浴びてスッキリする。土曜日につき事務は休みで、支払いは次回来院時という。公営施設は経営に鷹揚である。看護師より妻に食事の指示。近所の人が車で迎えに来てくれる。家のしだれ桜はすっかり葉桜になっている。ソメイヨシノは満開。

「世の中を思えばなべて散る花のわが身をさてもいづちかもせん」(西行、新古今和歌集)

201845日)

逍遥 湯河原・カトマンズ #110

Yさんへのメール

今晩のネパールの古い友との食事はとても楽しいものでした。ジャーナリストだった彼も80を越し体が弱ってきました。今夜はネパールの政党の揺籃時代の話を聞きました。先の政権政党ネパリコングレス党はラナ時代にインドで結党しました。もちろん政党が禁止されていた時代です。後にネパールの政治をリードしたコイララ兄弟が袂を分かつことになった理由がインド政府の強い意向であったというネパールの政治史に語られていないエピソードで、とても興奮しました。当時地下に潜っていた同党のNo.4のガネシュマン・シンを同じネワール族の誼で物心ともに支えていました。

さて、伊豆へのお誘いありがとうございます。春の伊豆の山歩きは思いを致すまでもなく麗らかな風を感じます。西海岸と狩野川が流れる地域を結ぶ峠道は、海産物の流通経路ばかりでなく「花嫁の越えた峠」であったに違いありません。私の祖母は伊豆から湯河原に嫁ぎました。風早峠の名の由来も西海岸の冬の冷たく強い風をこの峠で受けた人のすがたを想像するに難くありません。峠には人の生き様があるような気がします。そういえばネパールの峠にもヒンズーやラマ教の祠があります。昔の人にとって峠は彼我の世界を異にするある意味で決心を要する境界であったのかもしれません。

猫越(ねっこ)峠という珍しい名の峠があります。昔は西伊豆から沼津、三島に通う海沿いの道は難路だったのでしょう。この峠を越して猫越集落、湯ヶ島の中伊豆経由で行ったといわれています。湯ヶ島金山は江戸時代に開発されて金山奉行も於かれた地なので、こちらは交通インフラが整備されていたのでしょう。この珍しい名前の由来を知りたいものです。西伊豆にはこの他、宇久須(うぐす)、妻良(めら)、安良里(あらり)のような日本語らしくない語感を持つ地があります。平昌冬季オリンピックのカーリング選手たちが話した北海道方言「そだね~」は伊豆弁では「そうづら」になります。私の町の言葉は伊豆方言の影響を受けています。

4月の天城から西伊豆の稜線は、まだブナの若葉には早いかもしれません。アセビの花も4月中旬でしょう。マメザクラの可愛げな花はこの頃でしょうか。笹原を愛でる風は温かいものがあると思います。駿河湾も春の色に光っていることでしょう。

(2018年3月23日)