2018年10月12日金曜日

逍遥 湯河原・カトマンズ #110

Yさんへのメール

今晩のネパールの古い友との食事はとても楽しいものでした。ジャーナリストだった彼も80を越し体が弱ってきました。今夜はネパールの政党の揺籃時代の話を聞きました。先の政権政党ネパリコングレス党はラナ時代にインドで結党しました。もちろん政党が禁止されていた時代です。後にネパールの政治をリードしたコイララ兄弟が袂を分かつことになった理由がインド政府の強い意向であったというネパールの政治史に語られていないエピソードで、とても興奮しました。当時地下に潜っていた同党のNo.4のガネシュマン・シンを同じネワール族の誼で物心ともに支えていました。

さて、伊豆へのお誘いありがとうございます。春の伊豆の山歩きは思いを致すまでもなく麗らかな風を感じます。西海岸と狩野川が流れる地域を結ぶ峠道は、海産物の流通経路ばかりでなく「花嫁の越えた峠」であったに違いありません。私の祖母は伊豆から湯河原に嫁ぎました。風早峠の名の由来も西海岸の冬の冷たく強い風をこの峠で受けた人のすがたを想像するに難くありません。峠には人の生き様があるような気がします。そういえばネパールの峠にもヒンズーやラマ教の祠があります。昔の人にとって峠は彼我の世界を異にするある意味で決心を要する境界であったのかもしれません。

猫越(ねっこ)峠という珍しい名の峠があります。昔は西伊豆から沼津、三島に通う海沿いの道は難路だったのでしょう。この峠を越して猫越集落、湯ヶ島の中伊豆経由で行ったといわれています。湯ヶ島金山は江戸時代に開発されて金山奉行も於かれた地なので、こちらは交通インフラが整備されていたのでしょう。この珍しい名前の由来を知りたいものです。西伊豆にはこの他、宇久須(うぐす)、妻良(めら)、安良里(あらり)のような日本語らしくない語感を持つ地があります。平昌冬季オリンピックのカーリング選手たちが話した北海道方言「そだね~」は伊豆弁では「そうづら」になります。私の町の言葉は伊豆方言の影響を受けています。

4月の天城から西伊豆の稜線は、まだブナの若葉には早いかもしれません。アセビの花も4月中旬でしょう。マメザクラの可愛げな花はこの頃でしょうか。笹原を愛でる風は温かいものがあると思います。駿河湾も春の色に光っていることでしょう。

(2018年3月23日)