2019年10月28日月曜日

逍遥 湯河原・カトマンズ #128


箱根湯坂路

9月の一日、箱根の湯坂路を歩いた。芦之湯から湯本まで下り3時間のハイキングだ。ところどころに古の石畳が残る。鎌倉古道とも言い慣わされた東海道の幹線道路であった。

平安以前の東海道は御殿場から足柄峠を越えて今の南足柄市に出るルートで足柄路(矢倉沢往還)であったが、延暦2年(802年)の富士山の噴火によって閉ざされたために新たに開拓されたのが湯坂路である。翌年には足柄路が復旧したが、距離の短いこの道が使われ続けた。徳川幕府によって須雲川沿い畑宿経由の箱根旧街道が使われるようになるまで、長い間交通の要所であった。

この道は若葉の季節や紅葉の頃に歩くのがいいと思う。樹相はいずれも人の手が加わった二次林であり、うっそうとしたスギ林に椿、楓が植えられている。年月のたった木々は自然に溶け込んでいる。展望が得られるのは鷹ノ巣山と浅間山の頂のみで、あとは森林の中を緑を浴びながら下る。

湯本温泉におりて駅前の商店街を歩く。平日ながら観光客で大変な賑わいである。箱根の特徴は外国人が多いことだが、箱根町役場に勤めていた同級生は、多くの外国人は一泊2,900円の民泊に泊まるエコノミーな旅行者で、旅館は潤わないという。それでもすそ野の広い観光産業は町に多くの価値を生み出すはずである。最近の熱海の賑わいの復活も話題となっている。二大観光地に挟まれたわが湯河原温泉はさびしい限りである。観光業に携わる人たちに危機感が感じられない。私はしっとりとした風情の湯河原が好きなのである。
             
遅い昼を食べようと蕎麦屋に入った。日本酒をとってつまみに蒲鉾を頼んだ。この蒲鉾がしっかりしていておいしいのである。蒲鉾は小田原の名産で、数多くある店のそれぞれの味がある。我が家でも練り物を求めるときには「○○や」の「○○揚げ」等のこだわりがある。蕎麦屋のばあさんに思わず「どこの店の?」とたずねると、よくぞ聞いてくれたといわんばかりに「土岩」です。ちなみに、この店の一押しはとろろそばである。

ほろ酔い気分で箱根湯本から登山電車に乗って二つ目の大平台で降りる。今宵はこの温泉場で湯河原小学校62組のクラス会が開かれる。今回は13人が集まった。お互いの呼び方は少しも変わらずに、○○ちゃん、○○坊である。子どもの頃の思い出話が中心だが、実感ある成果が見えない地域の再生の話も盛り上がる。住む町の問題点がつまびらかになる。夜遅くまで飲み続けた。面倒見のいい世話人がいるのでこの会はまだまだ続くであろう。

20191011日)

2019年10月15日火曜日

逍遥 湯河原・カトマンズ #127


シルガリドティ

913日からネパールに10日間の出張だった。極西部のドティ郡に行った。郡庁所在地のシルガリである。合併後はディパヤル・シルガリ市となった。シルガリは18世紀にシャハ王朝がネパール全土を統一治世下におくまで西部24土侯国の一つであった。ディパヤルはセティ川の段丘に比較的新しく開けた街であり、ドティの経済中心である。以前は極西地域のヘッドクオーターがおかれていたが、憲法改正後はその地位をダンガリに奪われた。

新しい街並みは南斜面のアッチャム郡、バジュラ郡に抜ける幹線沿いに広がっているが、バザールは急な狭い尾根筋にある。この国の山地に共通するまちづくりである。シルガリも土侯国のころから変わらない目抜き通りであり続けているのだろう。中心部には大きなお寺がある。ラージャの住まいは上部にあったという。

NPO法人日本ネパール女性教育協会(JNFEA)は全国に20か所あるフィーダーホステルのうち、カピルバストゥ、ジュムラおよびドティの3か所を定めて、これらを卒業した教員への給与補填とホステル建物のリノベーションを支援するプロジェクトを昨年立ち上げた。フィーダーホステルは教育省が遠隔地の女性教員養成のために設置したもので、学費、旅費、食費等すべての費用を公費で賄い、周辺の郡から選抜された学生が生活する。1971年に始まったこの計画は、ユネスコ、ユニセフ、国連開発計画(UNDP)およびノルウェ―の支援を受けている。

私はホステルのリノベーションを依頼され、カピルバストゥとジュムラはすでに完成した。ドティではプロジェクト実施の合意がなされておらず、この度市長と折衝した。市長の了承を得たのであるが、バジャン、バジュラ、アッチャムの3郡からの学生がいるところ、ティハール祭後に4郡会議を開いてコンセンサスを取り付けることとした。

JNFEAが先の「さくら寮プロジェクト」において12年間で養成した{おなご先生}が100人に上ることはすでに小欄で紹介した。ドティ郡には6人の「おなご先生」がいる。そのうちの一人スリジャナの嫁ぎ先を訪ねた。バザールの通りにあるので古くからの家なのであろう。近くの小学校の先生を続けている。彼女はアッチャム郡の出身である。

ひと月前に二人目の娘を出産したばかりだ。顔色が優れないのは産後の肥立ちが悪いためかと思ったがそうではないという。妊娠中に超音波で母子健康の検査を行ったところ、胎児が女の子だと分かった。男の子を欲しかった夫は堕胎を強要したが、スリジャナはせっかく授かった子を殺すわけにはいかないとして生んだ。それ以来夫との仲がうまくいかず落ち込んでいるという。

わたしはてっきり舅、姑、小姑から精神的虐待を受けているものだと思っていたが、夫とは意外であった。経済的にも困っている家庭ではない。私の若い時の友人で七人姉妹を知っている。跡継ぎの男の子がついに生まれなかったのである。最近は村でも子供の数は2人であるという。スリジャナの夫は子供の数にこだわったのだろう。離縁されるかもしれない危機を顧みず母性を主張したスリジャナの勇気をたたえたい。そして夫婦が心を通じ合うことを願う。

短い出張から自宅に帰ると、銀木犀が匂っていた。

20191010日)