2019年10月15日火曜日

逍遥 湯河原・カトマンズ #127


シルガリドティ

913日からネパールに10日間の出張だった。極西部のドティ郡に行った。郡庁所在地のシルガリである。合併後はディパヤル・シルガリ市となった。シルガリは18世紀にシャハ王朝がネパール全土を統一治世下におくまで西部24土侯国の一つであった。ディパヤルはセティ川の段丘に比較的新しく開けた街であり、ドティの経済中心である。以前は極西地域のヘッドクオーターがおかれていたが、憲法改正後はその地位をダンガリに奪われた。

新しい街並みは南斜面のアッチャム郡、バジュラ郡に抜ける幹線沿いに広がっているが、バザールは急な狭い尾根筋にある。この国の山地に共通するまちづくりである。シルガリも土侯国のころから変わらない目抜き通りであり続けているのだろう。中心部には大きなお寺がある。ラージャの住まいは上部にあったという。

NPO法人日本ネパール女性教育協会(JNFEA)は全国に20か所あるフィーダーホステルのうち、カピルバストゥ、ジュムラおよびドティの3か所を定めて、これらを卒業した教員への給与補填とホステル建物のリノベーションを支援するプロジェクトを昨年立ち上げた。フィーダーホステルは教育省が遠隔地の女性教員養成のために設置したもので、学費、旅費、食費等すべての費用を公費で賄い、周辺の郡から選抜された学生が生活する。1971年に始まったこの計画は、ユネスコ、ユニセフ、国連開発計画(UNDP)およびノルウェ―の支援を受けている。

私はホステルのリノベーションを依頼され、カピルバストゥとジュムラはすでに完成した。ドティではプロジェクト実施の合意がなされておらず、この度市長と折衝した。市長の了承を得たのであるが、バジャン、バジュラ、アッチャムの3郡からの学生がいるところ、ティハール祭後に4郡会議を開いてコンセンサスを取り付けることとした。

JNFEAが先の「さくら寮プロジェクト」において12年間で養成した{おなご先生}が100人に上ることはすでに小欄で紹介した。ドティ郡には6人の「おなご先生」がいる。そのうちの一人スリジャナの嫁ぎ先を訪ねた。バザールの通りにあるので古くからの家なのであろう。近くの小学校の先生を続けている。彼女はアッチャム郡の出身である。

ひと月前に二人目の娘を出産したばかりだ。顔色が優れないのは産後の肥立ちが悪いためかと思ったがそうではないという。妊娠中に超音波で母子健康の検査を行ったところ、胎児が女の子だと分かった。男の子を欲しかった夫は堕胎を強要したが、スリジャナはせっかく授かった子を殺すわけにはいかないとして生んだ。それ以来夫との仲がうまくいかず落ち込んでいるという。

わたしはてっきり舅、姑、小姑から精神的虐待を受けているものだと思っていたが、夫とは意外であった。経済的にも困っている家庭ではない。私の若い時の友人で七人姉妹を知っている。跡継ぎの男の子がついに生まれなかったのである。最近は村でも子供の数は2人であるという。スリジャナの夫は子供の数にこだわったのだろう。離縁されるかもしれない危機を顧みず母性を主張したスリジャナの勇気をたたえたい。そして夫婦が心を通じ合うことを願う。

短い出張から自宅に帰ると、銀木犀が匂っていた。

20191010日)