2019年9月24日火曜日

逍遥 湯河原・カトマンズ #126


夏の味

今年の夏はなかなか暑くならなかった。セミの幼虫がはいでた穴も庭に少ない。蝶々も遠慮がちに舞っている。やっと暑くなったともおもったら、もう広島と長崎の原爆忌がきて立秋となった。蝉もヒグラシがなき始め、トンボの群れも顔を出し始めた。

今日は盆の入り、我が家では迎え火を焚いて父母と息子の霊を迎える。旧い家では精霊棚を軒に釣るが、我が家では簡素に仏壇の前に真菰を敷いて盆棚を作る。キュウリやナスで作る馬、牛もスーパーで買ったわら製で間に合わせる。昨日はお墓の掃除に行ってきた。お寺さんにはお布施の習慣がる。物知りによると、夏安吾が終わった解夏に僧職者に施食をする習慣が金銭になったものであろうという。わが町では子どもの頃の灯篭流しは環境保全の理由で禁止されている。
  御仏はさびしき盆とおぼすらん (一茶)
  
もう一つの夏の慣いのお中元であるが桃をいただいた。産地はそれぞれ岡山、長野、山梨である。繊細な肌、甘い香り、どうしたらこんな完璧な果実に仕上がるのだろうか。生産者の心遣いと丹精込めた技に思わず感謝の気持ちがわいてくる。傷みやすい商品ではあるが、今の物流技術をもってすれば日本を代表する輸出品目になるに違いない。

沖縄からはマンゴーが届いた。今年はネパールで食べ損ねたので諦めていたが思わぬ贈り物であった。沖縄のマンゴーもまた品種改良を重ねたものと思われる。ネパールのマンゴーも香りや甘さでは引けを取らないのであるが、食感で劣る。すじが多いのである。こんなものかと長い間楽しんでいたが、沖縄種の滑らかさとは格段の差異がある。ネパールでこのような品質に仕上げれば中東産油国への輸出も夢ではないのかもしれない。

日本では野菜は一年中出回っているが、夏野菜の旬を逃す手はない。近くのスーパーの野菜売り場には町内地場物のコーナーがあって生産者名を付けてある。5-6人の生産者が常連であり、かつて一方の主力産業だった農業生産者が減ってしまったということであろう。

我が家は近所の自家農園の栽培者の採れたての野菜をおいしくいただいている。トマト、キュウリ、ナス、ゴーヤ、モロッコインゲン等々。トマトは木で完熟させるので本来の味がする。いかに流通が短縮されたといっても朝採りにはかなわない。次にいただくのが待ち遠しい。

一方、ネパールは農業国でありながらインドからの野菜の輸入が年々増えている。インドの生産技術が向上したことがある。国境を挟んだビハールの野菜生産量の向上に伴い、ウッタールプラデシュが続いている。品質が格段に改善されたのである。日本の農協のような組織をもたないネパールの生産者は「ひと、もの、かね、情報」から遠い場所にいる。政府の政策を現状に対応させる必要があるし、農業指導員の人材育成が急務であろう。国家計画委員会の中期計画も毎年の予算教書も政策を個々のプロジェクトに落とし込めていない。官僚の現場のイマジネーションが現実とすれ違っている。

2019813日)