2016年12月30日金曜日

みなさま良いお年を(しばし本邦休暇中)

12月21日:早朝羽田空港着。短時間ながら熟睡。今日は冬至。車窓の相模湾は光り輝き春の景色。午後、奥歯を抜く。晩酌は富山黒部の「幻の瀧」。
12月22日:朝は一転して曇って寒い。庭の桜、モミジ、カキはすっかり落葉。モクレンはすでに新しい芽が息吹いている。夏ミカンは黄色く色づく。新潟県糸魚川市の大火災、夜になっても衰えず。午後は雨ながら南風で肌に不快の温かさ。耳鼻科で鼻炎の治療とインフルエンザの予防注射。
12月23日:天皇誕生日。雲一つない快晴。陽がとても暖かいが、山は冬の支度を始めている。大安。正月用のしめ飾りを買いに行く。とび職の専門店がなくなりホームセンターで。
12月24日:「箱根路を我が越え来れば伊豆の海や 沖の小島に波のよる見ゆ」源実朝の詠んだ初島へ家族と。昨日は波が高く欠航の船も今日は穏やかな海。海鳥の群れが船を追いかける。活イカの刺身で冷酒。
12月25日:全国高校駅伝をテレビ観戦。最終走者が競技場まで来て足がけいれんし、途中倒れながらもゴール。チームプレーの責任感。熱くなる。純真。
12月26日:会社時代の同僚が遠路来訪。奥さんを亡くしたばかり。自身で家事をこなす話に、自分ではできないだろう。相模湾のぶりの照り焼き、箱根芦ノ湖のワカサギの空揚げ、いずれもこの時期ならではの味覚。
12月27日:午後雨が上がって薄暮に山の端が鮮やか。義母から電話で訪問予定の家内が来ないと。 立ち寄った後、福祉事務所に行っているのをすっかり忘れている。夕食は娘と二人、「越の景虎」で海鮮鍋。

(スガジイ)

2016年12月23日金曜日

空のヒマラヤ案内人

ポカラの空をいくつもの超軽量飛行機が飛んでいるのを見たことがありますか。

元ロシアのミグ戦闘機のパイロットであったアレクサンダー・マシモフさんもAvia Club で外国人観光客をマチャプチャレやアンナプルナの間近まで遊覧飛行していましたが、残念なことに先月事故で亡くなりました。彼の名前を一躍知らしめたのは、2012522日に飛行中、アンナプルナIV峰の斜面の大崩落でセティ川に洪水が発生したのを発見して空港の管制塔や警察等に通報、洪水被害を最小限にとどめた功績です。

ネパールの航空機事故は決して少なくありません。今年2月には立て続けに2件の墜落事故が起きています。20141件、20122件、20112件、20102件発生しています。このほかにヘリコプターの事故があります。Flight Safety Foundationによるとこれまで34件の墜落事故で727人がなくなっているとのことです。

1970年代にとても楽しいスイス人パイロットがいました。キャプテン・ウイックといえば思い出す人もいるでしょう。

当時の山間部は道路網が未発達でもっぱら飛行機輸送に頼っていましたが、滑走路は短く、単発機ピラタス・ポーターが活躍していました。赤ら顔の彼はいつもジョークを飛ばして村の人たちの人気者でした。

山間部を飛行中、「ここでエンジンが止まったらどうする」、意地悪な質問に、


「なーに、あそこの田んぼに着陸するさ、機体の3倍の長さで止めてやるよ」。


氷河の上空すれすれに限界高度まで飛んでくれたのも忘れ難い思い出です。


(スガジイ)

2016年12月16日金曜日

血脈

日本に40日間帰りました。

こんなに長く滞在したのは12年ぶりです。小学校や高校のクラス会、大学のOB会と旧交をかわしました。日本はどこに行っても街がきれいで静かなのです。雑然としたカトマンズを懐かしみながら、それでも心地よいのです。

羽田からバンコクまでの航空便は東アジア・東南アジア系の人が多く乗っています。乗り換えでカトマンズ行き搭乗待合室に行くと、異なる皮膚感覚を覚えるのは私ばかりではないでしょう。かつて、華僑はアラカン山脈を越えてインド文化圏には進出できないとされていました。華僑もこれより西との交易にも積極的だったのですが、やはり主役の印僑の世界はアラビア海をまたいだ東アフリカ、中東との大交易圏でした。

瀬川拓郎著『アイヌと縄文―もう一つの日本の歴史』(ちくま新書)では、アイヌが日本人の祖である縄文人であり、オホーツク海交易で活躍し、西日本に半島から大挙して渡来した弥生人と交わらず、近世まで縄文文化を守り続けてきた海漂民が、広大な海のネットワークを組織して、朝鮮半島南部や中国の華南地方にまで進出していた、といっています。

陳舜臣の小説『風よ雲よ』『琉球の風』にも、近世の九州や沖縄の人たちが南の海で活躍するさまが描かれています。私たちに縄文人の血が脈々と受け継がれているのでしょうか。

(スガジイ)

2016年12月9日金曜日

自主製作映画「March」に感動!!

福島の小中学生マーチングバンド「Seeds+」がカトマンズに《元気》を届けてくれました。
ツノダヒロカズさんプロデュースのドキュメンタリー映画「MARCH」です。

2011年3月11日東日本大震災時の福島第一原子力発電所の事故によって、福島県南相馬市原町第一小学校のマーチングバンドは活動中止を余儀なくされます。避難解除ののち再結集したマーチングバンドの活動を追いかけたものです。

このドキュメンタリーはとても抑えた表現で貫かれています。

震災報道は、事故の悲惨さと被害にあった人々の望みを失った姿に焦点が当てられがちです。予期せぬ災害に何もかも失った悲惨さがある中で、人々が前を向いて毎日を生きていることを、子供たちの飛躍を目指して活動する姿を通して感じさせる手法には胸を打つものがあります。

プロデュ―サーのツノダさんは今年5月の八木原圀明さんの講話サロンにゲスト出演されたサッカー応援団ちょんまげ隊長・ツンさんで、ご存知の方も多いと思います。東北や熊本の地震被災地支援のほか、ネパールではシンドゥパルチョク郡ラムチェ村の地震復興を支援されています。


この映画は自主上映制度をとっており、企業、各種団体に一週間3万円で貸し出され、その資金を「Seeds+」の活動に充てるものです。

ご照会やお申し込みはhttp:/seedsplus.main.jp/までお願いします。

また、福島と熊本支援の物産を来る忘年会会場で販売しますので合わせてご支援のほどお願いします

(スガジイ)

2016年12月2日金曜日

日本語と日本文化の日に想う

1126日、日本語教師協会(JALTAN)主催の「日本語カラオケコンテスト」が開催されました。語学学校でない一般の中学生7人のコーラスがとても印象に残りました。澄んだ声で清らかに歌った「牧場の朝」に心を打たれました。歌唱力も抜群でした。


このコンテストは数ある日本語学校の対抗試合のようです。切磋琢磨による成長を嫌い足を引っ張り合う風潮の中で、このようなフェアな形で競争心をはぐくむことを企図できるのは、日本語の普及を指導しているリーダーの皆さんの軸のぶれない指導方針によるものと感動しました。


一方、同じ日に日ネ国交樹立60周年の「日本フェスティバル」が日本人会と日本在住ネパール人協会の共催、日本国大使館の後援で開催されました。盆踊り、武道、書道、食等の文化紹介で盛り上がりました。1万人の多くの人にご参集いただきました。日本に渡航するネパール人が増えていると聞きます。互いの文化を理解することが互いの国で気持ちよく暮らすことができる端緒となるのではないかと思われます。


これら行事を準備運営してくださった方々、ご参加いただいた方々、熱烈なご支援ありがとうございました。
   

(スガジイ)