2017年8月25日金曜日

8月25日


盆踊りが大盛会でした。会員の皆様もこれまでになくお楽しみいただいたことと思います。。

はじめの踊りから盛り上がりました。日本語を学ぶネパール人に浴衣貸出サービスを行ってから何年になるでしょうか。やっと定着して、学生の皆様に喜んで参加いただけるようになりました。実は浴衣の貸し出しや、その後の管理には大変な労力がかかるのです。お世話いただいた皆さんに感謝します。

我が補習授業校の幼児部によるお神輿かつぎは参加者を一気に一つにまとめました。《可愛い力》がこんなに大きな役割を果たしたとは驚きです。父兄の皆さん、幼児部の先生方、見事でした。

補習授業校お得意の生徒、父兄による合唱はお手の物で何度聞いても感激です。林先生のもと、ますます歌唱力を磨いてください。次は忘年会が出番です。

スイカ割りも例年より力が入りました。見物人も含めてエクサイトしていました。こんな単純なゲームですが、人々の目線がスイカ一点に集まるとはこれまた驚きでした。

出店の皆様ご苦労様でした。早くからご準備いただいて、気合が入っているのがよくわかりました。昨年程度の参加人数を予測されての仕込みだったと思いますが、今年の参加者数では最後までに売り切れてしまう店が続出でした。来年もよろしくお願いします。

さて、本番の踊りですが、例年の〽月が出た出た『炭坑節』、〽踊り踊るなら『東京音頭』、〽えらいやっちゃえらいやっちゃ『阿波踊り』に加えて、今年は『ドラえもん音頭』が登場しました。小さい子にも大好評。

二回目の踊りも遅くまで熱く踊りました。三回目のイクストラの要求が出るほどまでにノリノリでした。こんな夢中になって大勢が最後まで楽しんだ盆踊り大会は、当地日本人会の歴史始まって以来かと思います。

参加者の皆さんありがとう。JUANJAANJALTANNAASの皆さん来年も参加してください。準備運営してくれたスタッフの皆さんありがとう。
(スガジイ)

2017年8月18日金曜日

8月18日


2015425日の地震によってランタン村は壊滅しました。ランタンリルン峰(標高7227m)の氷河の崩落によって村全体が氷で埋め尽くされてしまったのです。

この村には55軒のトレッカー用ロッジがあり435人が在住していました。行方不明者は403人、うち外国人131人と発表されましたが、トレッカーやそれに付随するガイド、ポーターなどがさらにいたものと思われます。

西の小高い丘の上の集落ゴンパは崩落時の突風によって建物が吹き飛ばされました。昼食をとったロッジの主人は大岩の陰に隠れて難を逃れたようです。ランタン川対岸の大木が根こそぎ倒れているのもこの突風によるものと思われます。このほか東のムンドゥやキャンジンゴンパも地震の揺れによる壊滅的被害がありました。4集落合計で131世帯671人の被災者です。

父親から引き継いだキャンジンゴンパの僧であるロッジのサウジ(主人)によると、この谷のチベット人は1959年に中国軍のチベット侵攻から逃れ、ケルン、ラスワガリ経由でこの地に来たといいます。地名の由来は、Lang: 牛、Tang:険しい道、牛が険しい道を上った、というところでしょうか。

それ以前400年ほど前にタマン族が入植していたとのことです。その後チベット人が入ってきたわけです。産業は牧畜と農業の半々です。80年代末からトレッキングが盛んになり、今ではほとんどすべての村人が観光関連業に携わっています。

キャンジンゴンパから上流部にはいくつもカルカ(放牧地)があったのですが、今では牧童小屋も崩れており、村人が言った通りカルカにいるのはヤクの類(チベット牛)ばかりです。

さて、これら4集落の復興ぶりといえば目をみはるばかりです。以前より数倍大型のロッジを鉄筋コンクリートでいち早く建設しています。石積みのロッジも政府の耐震設計に準じています。

規模によって200万から1000万ルピーかかったそうです。いずれも自己資金です。ソルクンブのシェルパも地震後いち早くロッジを立て直しましたが、さすがにチベット系の人はビジネスにさといと感じました。

(スガジイ)

2017年8月11日金曜日

8月11日


イギリスの登山家ティルマンが「世界一美しい谷の一つ」といったランタン谷にトレッキングしてきました。714日から9日間です。なぜモンスーンの天候不順期に?いえいえ、高山植物が真っ盛りなのです。ヒルの歓迎も受けましたが。

シャブルベシまで車で入ります。ここはすでにチベット人が多く見られるバザールです。そのまま歩き始め、午後4時にラハレのチベット人経営のロッジに着きました。この家族は翌朝カトマンズに行くということです。

二日目は急坂を登り切りリムチェで昼食後、リバーサイドで一泊。三日目はゴラタベラ付近から森林帯を抜け出し、いよいよ高山植物の世界に入ります。歩くのに苦しいのと、花をカメラに収めるのとなんとも落ち着かない日です。地震の災害から復興しつつあるランタン村に泊まります。

四日目はキャンジンゴンパ泊です。この村も地震の被害で全壊し本村のランタン村より大きなロッジを立てています。ランタンプランの貞兼綾子さんはゴンパの建設を支援しています。

五日目はランシサカルカにテントを張って二泊しました。キャンジンでカルカの様子を聞いたところ、「ヤクしかいないよ!」「牧童は?」「チャイナ(いない)!」その通りでした。

花々は私の文章表現力を超えて魅力的です。写真でお楽しみください。

(スガジイ)

        



  


2017年8月4日金曜日

8月4日

ここ何年か日本人の主婦からカトマンズの物価の値上がりをこぼされます。国際通貨基金(IMF)発表の消費者物価指数の推移をみると、2008年から毎年の上げ幅が大きくなっているのがわかります。名目GDPの急上昇もこの年から始まります。
この年はリーマンショックが起きた年ですが、ネパール経済と切っても切れないインドも2008年を境に同様の傾向を示しています。バングラデシュも同様です。他のアジア諸国では別のトレンドなので、インドを中心とする経済圏の特異現象なのかもしれません。
ちなみにネパールの経済学者は、リーマンショックのネパールへの影響について、グローバル経済から孤立した国だから影響はほとんどないと言っていました。
私は生活必需品の買い物をしないので、物価の値上がりを皮膚感覚でとらえることはできませんが、タクシーの料金の高くなったのは感じます。誰も料金メーターは使いません。運転手に聞いてみると、一日の売り上げは2,000から2,500ルピーのようです。オーナーからの車両借り賃が1,000ルピー、ガソリン代が700ルピー、粗利は300~800ルピーです。これでは生活も楽でありません。
カトマンズではほとんどの人がスマホを持っています。携帯電話契約数が1百万台を超えたのが2006年です。前年比500%増です。この年から急激に伸びて、2015年には2,751万台に達しました。国民一人1台の計算です。2006年はマオイスト内戦が終結した年です。
もう一方の通信革命の雄であるインターネットの普及率推移を見ます。2010年から急上昇します。この年一年で4倍の増加です。2009年に1.97%の普及率であったものが2015年には17.58%とこの間9倍に増えています。
おりしも連邦制に移行するに際し、情報通信技術の普及向上が地方自治体の発展を左右するように思われます。
また、これらの現象を見ると、平和になって経済発展の速度が促進されることが見て取れますし、政治が不安定でも国民はしたたかに富を追い求めているのではないでしょうか。
(スガジイ)