2020年8月7日金曜日

逍遥 湯河原・カトマンズ #146 

 

長崎の鐘

 

7月も終わりになろうというのにまだ梅雨が明けない。それどころか毎日各地で大雨警報が出される。梅雨前線がもたらす大雨災害は日本ばかりでなく中国、韓国にも及んでいる。わが町にも

強い雨はあるが大事に至っていない。セミの声がだんだんと喧しさを増している。

 

山梨の知人から桃が届いた。香りを楽しみながらいただいている。また、追うように沖縄の甥からはマンゴーが送られてきた。今頃はネパールのマンゴーも食べごろであろう。去年に続いて食べそこなうのだろう。

 

新型コロナの流行は秋を待たずして第2波が以前にもまして猛威を振るい始めた。都市部のみならず離島にまで伝播した。日ごとに増加記録を更新している。家庭に持って帰り高齢者や年少者に移してしまうのが痛ましい。45月の緊張感が緩んでしまったのであろう。

 

NHKの朝の連続ドラマは「エール」だが、コロナのため撮影ができなくて再放送している。作曲家古関裕而の物語である。数ある古関の名曲の中でも「長崎の鐘」は日本を代表する歌曲といっていいと思う。

 

学園祭「ソフィア祭」の最終日の晩は隣接の運動場でファイアーストーム(キャンプファイアー)を催すのが恒例であった。地下鉄丸ノ内線四谷見附駅のホームから見える江戸城の外堀「真田掘」を埋め立てたところである。四谷見附門と喰違門の間で、大学の対岸には迎賓館がある。この行事の準備、進行に入学以来毎年かかわった。

 

佳境になると決まって現れる教授がいた。スペイン人のソペーニア神父である。何年も前からそうしているのであろう。ファイアーマスターも心得ていてすかさず紹介する。「長崎の鐘」を歌い始める。声量のある伸びやかなテノール。誰も唱和することなくただ息をのんで聞く。涙を浮かべる人もいる。

 

こよなく晴れた 青空を

悲しと思う せつなさよ

うねりの波の 人の世に

はかなく生きる 野の花よ

なぐさめ はげまし 長崎の

ああ 長崎の鐘が鳴る    

 (サトウハチロー作詞、藤山一郎歌唱)

 

この歌は長崎大学の永井隆医師による原爆体験記『長崎の鐘』がもとになっていることを知らなかった。 

《原爆が投下された当時、爆心地近くにいた永井医師は、被爆したうえ、飛び散ったガラスの破片で頭部の動脈を切る、という大怪我をした。応急処置を済ませた永井医師は、生き残った同僚と負傷者の救護に奔走した。自宅に帰ったのは原爆投下から3日後のことだったという。自宅に戻ると妻はいなかった。台所の隅の方に、黒い塊がふたつあった。妻の焼けた骨盤と腰椎だった。傍らには、妻がいつも身につけていたロザリオがあった。》(藤原正彦、詩歌の品格、サライ8月号)

 

「なぐさめはげまし……」明るい転調が希望を求める最終節を歌い上げると、ソペーニア神父は静かに去っていく。私が4年生の時は大学紛争のため学園祭は取りやめになった。そして、その後は消防署のファイアー開催許可が下りなくなったという。神父のうたは「祈り」であったのではないか。

 

広島出身のミドリさんは毎年原爆忌にあわせてカトマンズで原爆写真展を開いている。コロナ感染下の今年はできるのだろうか。昨日、政府の支援を受けられないでいた被爆者の訴え「黒い雨訴訟」が広島地裁で勝訴した。行政の冷然さ。戦後はいまだ終わらないようだ。もうすぐ8月、広島と長崎に祈りの日が来る。

 

 (2020730日)