2020年7月22日水曜日

逍遥 湯河原・カトマンズ #145 

コロナ禍の中で (7

 

雨の合間の庭の地面にぼつぼつ穴が開いてきた。もうセミの季節なのだ。妻はセミのなくのを聞いたという。木の枝に抜け殻を見つけた。梅雨はまだ明けそうにない。

 

近所の知人から夏野菜をいただく。実家が農家で、自身もたくさんの野菜を育てている。モロッコインゲンは柔らかだがしっかりしていて、毎日調理を変えておいしくいただいている。キュウリも市販のものとは歯ごたえが違うほど新鮮である。

 

梅雨前線の大雨が続く。九州、岐阜、長野、島根では想定以上の水害が発生し多くの人が犠牲になった。毎日雨が続く。熊本県の球磨川は急流が知られているが、過去400年に100回以上の水害があったという。狭い谷間に集落がある。山がちの我が国ではごく当たり前の立地であるのが恨めしい。

 

ネパールの山地も急峻な地形で毎年モンスーン期には災害が起きる。ただし谷間の流れに沿って集落を形成しない。1960年代にマラリヤが撲滅されるまで河川沿いの低地に住めないことも理由だが、荒れ川添いの危険を知っていた。一番安全な尾根筋(ダンダ)や段丘(タール)にバザールを形成した。交通(徒歩)の要所には川沿いにもバザールが形成されたが防災の配慮はなされていた。

 

近年は人口増加圧力が加わって低所得層が川に面した低地に集落を形成している。カーストの低い階層が危険を承知で移り住むことがある。砂利の採取や生活廃棄物処理などの職業についている人たちである。私はかつて災害の起こりやすい地方の学校の生徒や教師を対象に防災教育をした。ミャグディ郡ベニのカリガンダキ上流で地滑りによる天然ダムが形成され、下流のバグルンの川沿いの集落に鉄砲水の恐れが発生した。その前年に学校で防災教育をしたので生徒や先生は対策行動を覚えていてくれて早目に安全な場所に避難したという。

 

さて、今年のモンスーン期もネパールの各所で地滑り等災害が発生しているが、新型コロナ情報に目が奪われがちである。ネパールの感染者数は74日あたりから減少傾向にある。6月初旬からの中・西部山地地域の感染激増はインド出稼ぎ帰国者が持ち込んだものと思われるが、このところ小康状態となった。6月末からカトマンズで感染者が毎日に微増している。ガルフ諸国からの帰国者が続いているが関連があるのだろうか。

 

先日ネパールの知人から街かど情報があった。街の噂を頭から否定する人もいるが、私はカトマンズの噂話を情報として重宝している。要は受け取り手の情報価値の取捨選択であろう。その中の一つを紹介すると…。「タメルのホテルが湾岸帰国者の一時隔離所となっており、75日にクウェートから帰国した3人の感染が確認された。帰国10日目である。にもかかわらずホテルは封鎖せずに新たな客を入れている。あと2人出たが詳細は不明。」、「帰国者は一時隔離所に24時間だけ収容し、その後は村に行くバスが出るまでホテル等で待っている。」

 

地方のPCR検査陽性者の扱いはどうなのだろうか。治癒した人の数を郡別にみると、濃淡はあるが全く少ない郡がある。陰性になるのを確認しないで帰宅させているのではないかと心配になる。PCR検査ができる機関まで村から何日か歩かなければならないだろう。死者数が少ないことから重篤になる人も少ないのではないかと思われるが、感染はますます広がる。

 

隣国ブータンでは感染はあまり深刻化していないようだが、南部インド国境のゲレワ地域では4月からマラリヤが、7月に入るとデング熱が広がっているようだ。前号で中国のネパール国境侵犯を書いた。2017年にブータン西部のドクラム地域で中印両軍が70日間にらみ合った。新聞報道によると中国が6月以降ブータン東部の領有権を主張したとのことである(714日付読売)。以前にも北部2地域の領有権を主張した。ネパールにしろブータンにしろヒマラヤの小国が覇権国家の脅威にさらされているわけだが、指導者には目先の利益にとらわれず毅然とした姿勢を堅持してほしいものである。

 

2020717日)