2017年1月27日金曜日

クマさん大王の物語2

この時代、ゾウたちは森の生活は小さな動物たちの考えを聞くべきだと考えていました。ところがくまさん大王はこれを許さなかったため、ゾウたちはひっそりと潜んで時期の来るのを待ちました。若い小さな動物たちもゾウ達の影響を受けてくまさん大王に届けとばかりに叫びましたがなかなか声が届きません。
こんな中でクマさん大王は兄弟と森の生活について侃々諤々の意見を取り交わす毎日でした。そのうちある小さな事件をきっかけに、小さな動物たちは四方八方からクマさん大王の棲み処を目指して大勢で押し寄せました。大きな声が重なり合って響きます。天と地が揺れてひっくり返るのではないかという有様です。この森で初めての出来事です。大王の部下たちもこれを止められずに右往左往しています。そしてくまさん大王は遠くの国の大王のように小さな動物たちに生活を決められるように森の仕組みを変えました。
小さな動物たちよりもっと喜んだのがゾウさんたちです。いじめられながら頑張った甲斐がありました。早速森の新しい仕組みを作ろうとしますが、得意満面のゾウさんたちは自分の都合のいいことを言うばかりで少しもまとまりがつきません。足の引っ張り合いが始まりました。小さな動物たちが望むことが何にもかなえられないのです。リーダーが次々と変わります。
そうこうするうちに、ゾウさんたちの中から、やっていられないとばかりに森の奥深くに入り込んで、みんなと別の仕組みを作ろうというグループが出てきました。  (つづく)

(スガジイ)

2017年1月20日金曜日

クマさん大王の物語

ある山奥の小さな森の話です。この森に外の世界から訪れる動物も少なく、森のリーダーであるくまさん大王を中心に、様々な生き物が平和に暮らしていました。決して豊かではありませんが、皆で助け合って、諍いの少ないところでした。
時代がたつと、近くの森の王者が他の森のライオンやトラに襲われて追放されてしまうという出来事が聞こえてきました。それもいくつかの森で立て続けに起こっているようです。この森のくまさん大王は自分の力を絶対的に信じていましたが、よその森の出来事が聞こえてくるたびに不安になりました。自分の前では従っているのに、目の届かないところでは舌を出していやしないかと気にするようになりました。部下のレッサーパンダたちに動物たちの噂話を監視するように命じ、不審な動物を捕まえては檻に入れてしまうようになりました。
やがてくまさん大王は年老いて死に、息子たちの中から新しい大王が選ばれました。新しい大王は兄弟の間でもっとも先祖を敬っていたのです。
よその森との交流の機会も増えて、遠いいくつかの森では大王様の下で自由で、豊かで、幸せに暮らしていることがわかってきました。くまさん大王は、自分の森も何か変わらなければならないのではないかと考えるようになりました。
しかし、そんな知らせを自分の森の将来のこととして受け止めたのは、兄弟や部下の中にもいませんでした。くまさん大王は子供のころに遠い豊かな森を旅したことがあるのです。
(つづく)

(スガジイ)

2017年1月13日金曜日

「律儀」古今東西

バンコクの空港待合室でのことです。

3組のタイ人年配夫婦が私の近くでお互いの写真撮影に興じています。そのうち一人が落とし物をしたので拾ってあげると、落とした人は何度も礼を言うばかりか同じグループの人たちも礼を言うのです。対する私が恐縮するほどでした。

一方、私の叔母が都内でレストランを経営していた時のことです。

ネパール人の青年が時々食事に来ていました。叔母は私がネパールと深いかかわりを持っているのを知っていたので、この青年にシンパシーを抱き、いつも注文以上の品をサービスしたとのことですが、いつの間にか来店しなくなり、帰国したとの風の便りがありました。叔母からすると『あれだけ面倒を見てやったのに、挨拶もなく帰るとは何事?』なのです。

私が叔母をなだめたのは、『施しを美徳とする国は日本のほかにもたくさんあるし、ネパールもそのうちの一つだが、返礼を不要とする文化もあるのだ』、『ネパールでは神様に感謝する言葉はあっても、人間に対するお礼の適当な言葉がないので、青年のとった行為はネパール人の間では何の違和感もない』と文化の微妙な違いを例に出したのですが、腑に落ちた風には見られませんでした。

日本に貨幣経済が導入される前の物々交換時代の古い昔、ものを交換するのに贈答とそれに対する返礼の形をとった文化があったといわれています。お年賀のやり取りの風習として残っているのでしょうか。

こんな風習も以前ほど律儀に行われなくなったと感じられる新年です。


(スガジイ)

2017年1月6日金曜日

謹賀新年(休暇追い込み中)

明けましておめでとうございます  
今年もよろしくお願いします

1228日:東京のY福祉財団でネパールの小児眼科医療事業のプレゼンテーション。農村部の小児失明者は貧困に起因する。未開拓の分野に光を当ててくださるのはありがたい。

1229日:菩提寺で住職へ暮れの挨拶と墓の掃除。快晴に光り波たつ相模湾を望む。強い風が冷たい。

1230日:友人が毎日一万歩歩いているということを聞き、一念発起して万歩計を買う。一万歩とは意外に楽だと思いきや、家に帰りつくと腰が痛い。毎日続けるのは根気がいりそう。夕食はぶり大根と地元の酒「丹沢山」

1231日:NHK「紅白歌合戦」、鴨鍋に「菊正宗」、長野から送ってもらった年越しそばを食べた後、源頼朝ゆかりの菩提寺「城願寺」で除夜の鐘を突く。境内では早や梅の花が咲いている。

11日:おせち料理を食べ、ニマを含めた家族で地元の鎮守「五所神社」へ初もうで。この神社の縁起は平安時代にさかのぼるという。最近七福神の像を境内におくが、何かこざかしい感がある。

12日:「箱根大学駅伝」をテレビ観戦。午後に40年前まで住んでいた戦前開けた別荘分譲地に行ってみる。案内板をみると、すでに多くの家が代替わりしており、古くからの家は2件を残すのみ。

 13日:家族とニマで家内の実家に新年のあいさつ。ニマは初めての電車に興奮気味、乗り物大好きな犬である。


(スガジイ)