2017年1月13日金曜日

「律儀」古今東西

バンコクの空港待合室でのことです。

3組のタイ人年配夫婦が私の近くでお互いの写真撮影に興じています。そのうち一人が落とし物をしたので拾ってあげると、落とした人は何度も礼を言うばかりか同じグループの人たちも礼を言うのです。対する私が恐縮するほどでした。

一方、私の叔母が都内でレストランを経営していた時のことです。

ネパール人の青年が時々食事に来ていました。叔母は私がネパールと深いかかわりを持っているのを知っていたので、この青年にシンパシーを抱き、いつも注文以上の品をサービスしたとのことですが、いつの間にか来店しなくなり、帰国したとの風の便りがありました。叔母からすると『あれだけ面倒を見てやったのに、挨拶もなく帰るとは何事?』なのです。

私が叔母をなだめたのは、『施しを美徳とする国は日本のほかにもたくさんあるし、ネパールもそのうちの一つだが、返礼を不要とする文化もあるのだ』、『ネパールでは神様に感謝する言葉はあっても、人間に対するお礼の適当な言葉がないので、青年のとった行為はネパール人の間では何の違和感もない』と文化の微妙な違いを例に出したのですが、腑に落ちた風には見られませんでした。

日本に貨幣経済が導入される前の物々交換時代の古い昔、ものを交換するのに贈答とそれに対する返礼の形をとった文化があったといわれています。お年賀のやり取りの風習として残っているのでしょうか。

こんな風習も以前ほど律儀に行われなくなったと感じられる新年です。


(スガジイ)