2017年11月17日金曜日

11月17日

この度、小川大使閣下より在外公館長表彰をいただきました。在ネパール日本人会の活動を通して日本とネパールの友好増進に貢献したとの評価をいただいたものです。

もとより日本人会は会員の皆様、理事の皆様の献身的な活動によって支えられているものであり、『言うだけ番長』の私がいただくのもおこがましいのですが、皆様を代表していただいたことで、喜びを分かち合いたいと思います。

本会は1979年に設立されました。まだまだ在留邦人も数少ないころなので、皆さん顔見知りの方ばかりでした。家族帯同の赴任者の増加する時期でもありました。子女の教育の要求が出始め、日本人相互の親睦はもとより、子女教育の場を設ける目的が設立に向けて動き始めたものでした。補習授業校が設立されたのは翌年の1980年です。
歴代の会長や理事は運営に腐心されました。任期中にたくさんのことができるわけではありません。私は一任期一テーマとしました。

2002年度は行事の充実に力を入れました。1996年以来のマオイスト事案のため大きな行事を執り行うことが難しい時期が続きました。識者の講話と会員の親睦食事会を兼ねた『講話サロン』を始めたのがこの頃です。毎回70人ほどの参加を得て盛況でした。
2003年度は補習授業校の改革に取り組みました。本邦で授業を受けたことのない児童生徒が増えたため、最適な授業運営を検討し実施に移しました。森運営委員長のご努力が大きいものでした。

2016年度に思いがけなく再度仰せつかった折には、会員の皆様の行事への参加が少なくなっているとのご指摘をいただき、会員と理事会の距離を縮めるために広報を強化すべくホームページを立ち上げました。会員の皆様との双方向コミュニケーションの場とすることを望んでいます。

2017年度は商工部会の再建です。猪狩部会長には社業ご繁多のところご無理申し上げていますが、積極的に取り組んでいただいています。

賛助会員の皆様には会費値上げにもかかわらず快く財政のご支援をいただきました。貧乏所帯にはなくてはならない貴重な財源となっています。

さらには歴代大使閣下に名誉会長として、また館員の皆様にも絶大なご支援をいただいていることに付言しなければなりません。微力な組織にとってこれほど力強いことはありません。

最後に、会員の皆様におかれては行事に多数ご参加いただくとともに、未会員の在留邦人の方をお誘いいただき、本会が心地よい集いであるようともに歩みたいと思います。


(スガジイ)

2017年11月10日金曜日

11月10日

久々に小説を読みました。村田喜代子著「蕨野行」(文春文庫)です。ある雪の深い村の60歳を超えた村民を蕨野という丘へ棄てる掟、いわゆる棄老伝説を姑と嫁の心の対話で進行する江戸時代末期の話です。

本の帯をそのまま転載すると、「処(ところ)を隔てて心を通わせあう方途(みち)はあるか?死してなお魂の生き永らえる方途はあるか?答えは応なり!蕨野。そこは六十を越えると誰もが赴くところ。ジジババたちの悲惨で滑稽で、どこか高貴な集団生活があった。」
読んでいて鳥肌立つものがありました。人間の『生』の本質とはかくも壮絶なものかと、齢七十にしてようやく考えさせられる私がありました。

9月の末に一人で八ヶ岳を登ってきました。赤岳、キレット、阿弥陀岳を経て青年小屋に至るルートです。南八ヶ岳は火山群です。どの山も頂上に近づくと急峻な岩場になります。
自分では若いつもりでいても、足腰は弱くなりバランスも悪くなっているのです。ここで落ちたら間違いなく死ぬ、ここで足を滑らせたら大けがをするだろうが登山者の少ない今の時期は発見されないまま幾晩も過ごせるだろうか、どちらにしても迷惑をかけてしまいます。奇妙なことに生への執着より恥の意識が勝ちます。

途中で出会った人からは「お元気ですね」と声をかけられ、そんなに年寄りに見られたのかと憮然とします。下山後に会った以前カトマンズに暮らしていたKさんからは「最近こういう高齢者の遭難事故が多いんだよね」と冷かされる始末です。

その足で大学のクラブのOB会に参加しました。甲州勝沼の大善寺の宿坊です。ご本尊はブドウをもった阿弥陀如来で、ワイン発祥の地として知られています。本堂の前にぬかずくと『まだ生かされている』という霊示めいたものがあります。

人の生の終着点はだれにもわかりません。久しぶりに会った古い友等と酒を酌み交わしながら、『一期一会』茶の湯のことわりが身に沁みました。


(スガジイ)

2017年11月4日土曜日

11月3日

4月から不調の胃にできた腫瘍が9月の内視鏡検査でも思わしくなく、がんセンター送りとなりました。ここでのさらに精度の高い内視鏡でもがんの疑いはないとしながら、経過観察とのことで12月に再度検査することにしています。

今まで大病院で診てもらうほどの大病をしたことのない私は、病院に入ったとたんに何をしたらいいのか戸惑います。まずは案内で尋ねます。受付で内視鏡科の書類と呼び出しの端末をもらいます。

内視鏡科で待つことかれこれ1時間、数ある内視鏡室の前で待つよう端末に表示されます。愈々順番が来て部屋に入り検査の準備をしますが、数多いスタッフは淡々と処置を進めます。その有様が余りにも無機質に感じられ、屠殺場に送られた動物になったような不思議な感じになります。

1週間後の検査結果診断でもやはり案内に立ち寄らなければわかりません。予約時間がインプットされた診察券を自動受付機に登録すると予約表と担当科(私の場合は消化器科)受付で手続する指示が出ます。もちろん呼び出しの端末機も出てきます。待合室には担当医の診察状況がモニターに出ます。私の担当医に受診者が集中しています。

支払は自動支払機で済ませます。領収証とともに薬の受取証と次回予約表が出てきます。かくのごとき病院のシステム化の進展には驚かされました。事務分野のシステム化はこれでよくわかりますが、患者データの共有化もかなり進んでいるものと推察されます。診察室には医師と看護師の二人でしたが、看護師がすべての情報を入力しているように見受けられました。私がかかりつけの街のクリニックからがんセンター担当医への紹介状は書簡形式でしたが、逆方向は電子情報の送付も可能なのでしょう。

最近の医療はほとんどが物理的生理的データから診断される様で、診断精度も向上しているのでしょう。一方で、医師が弱者としての患者とどう向き合うかという問題が残ります。幸いにしてがんセンターの担当医は懇切丁寧に説明してくださったし、患者を気遣う配慮もあり安心して話を伺うことができました。

つまるところ『医は仁術なり』ということなのではないでしょうか。


(スガジイ)