2017年6月30日金曜日

6月30日

624日、カトマンズ補習授業校で「七夕音楽会」が開かれました。生徒も保護者も皆さん素晴らしい腕前を披露していただきました。
補習校の音楽教育が充実しているのは、ネパール音楽の気鋭の研究者でいらっしゃる林裕士先生の惜しみないご指導によるところが大きいと思います。林先生の研究の成果も楽しみです。
七夕の願いを込めた短冊は『試験でいつも100点をとる』『水泳を浮き輪なしでしたい』等々身近な願いが多かった中で、『ほんをかく人になりたい』という人生をまっすぐ見据えたものが目を引きました。私が小中生のころの願い事はすっかり忘れてしまいましたが、皆さんはどんなことを願ったでしょうか。
音楽会に引き続き、退任される中野先生と河村先生の送別謝恩会がサネパのカフェUで持たれました。中野先生は大使館の中野書記官の夫人で、3年にわたり教鞭をとっていただきました。在校生からの色紙の贈呈時には思わず涙ぐんでいらっしゃいましたが、気持ちをこめてご指導いただいたものと感じ入りました。
河村先生には、トリブバン大学国際言語キャンパスで日本語を教えていらっしゃる傍ら、4年にわたり貴重な休日である土曜日を補習校に時間を割いていただきました。プロの教師でありとてもタフな方です。
両先生にはあらためてお礼申し上げるとともに、日本に帰られたのちもご健勝でご活躍されることをお祈りします。
私は校長とはいえイベントで挨拶をする程度の「名ばかり校長」でありますが、謝恩会では保護者の皆様と親しく話す機会をいただきました。
カトマンズ補習授業校の特色を一言でいえば「手づくり学校運営」であると思います。貧乏校であるがゆえに教員と保護者が物心両面でご苦労されながら、授業を充実させた上にイベント企画で生徒たちにネパールの学校にない体験をさせていただいています。ますますの充実をお祈りします。
(スガジイ)


2017年6月23日金曜日

6月23日

体のあちこちに不具合が出てきたのを機にウオーキングを始めました。早朝5時半にラジンパットを出発して一時間のコースです。3kmちょっとの距離でしょうか。路地と大通りを組み合わせます。
路地の塀のうちからはジャスミンの香りがまだ寝ぼけた頭を刺激します。そのうち小さい川沿いの道になります。川というより下水道で、強烈な匂いに瞬く間に不快になります。紀元前2500-1800年に栄えたモヘンジョダロの都市にはすでに汚水の排水システムができていたというのに、21世紀のこの街のありさまは何とも情けない思いがします。バガマティ川浄化キャンペーンの《口ばっかし》は国民性なのでしょうか。
大通りに出るとそこここにごみの山です。ビニール袋に入れたごみの山がカトマンズ市の収集車やごみ収集業者が集めに来るのを待ちますが、犬やカラスが袋を破り散乱しています。気温が上がると強烈な匂いです。道端に積み上げるのでなく、ごみを置く施設を設置できないでしょうか。ちなみに日本の我が町は堅牢な金網で囲ったごみ置き場がどこの家庭からでもアクセスしやすい距離にあります。
新聞店によって英字紙2紙を買い、一面をざっと見ます。昨日も何も起こらず、何も進まず、天下泰平であります。一方で、森友だ加計だと本質から外れた論争の国会やマスコミがどこの国の話であったか、世の中あまり変わらない気がします。
路上に牛乳の箱を積み上げて売っています。各メーカーが一次共同デポを主要な通りの各所に設定し、トラックで配送します。ここから個人業者が自転車でさらに小売店に配送するのです。女性がマネージしているデポが目立ちます。小売りもします。
薄めすぎた牛乳とヨーグルトを買って家にもどり、うっすらとかいた汗をシャワーで流して、相も変らぬ一日が始まるのです。
(スガジイ)

2017年6月16日金曜日

最初に行くのはびよういん??

5月を20日も過ぎると日本は30度前後まで気温があがり、子供や年寄りにとっては体への負担が心配されます。外出するときにはスポーツドリンクが必携です。

今回一時帰国して納得したのは、体をいたわらなければならない年になったということです。自覚症状から病院通いが始まりました。まずはひざの痛みを整形外科で見てもらいました。水が溜まっているということから湿布薬を処方してもらいます。次に鼻のアレルギーが持病であるところ耳鼻科に行きます。花粉症と蓄膿症を併発しているとのことです。
4月上旬にカトマンズで極度の食欲不振に陥りました。8日の補習授業校の入学式には下痢が重なりました。何とも力のない校長挨拶になってしまって、新入生や父兄には申し訳ない気持ちです。中旬に一時帰国を予定していたので、バナナと紅茶で過ごしました。酒が抜けた我が肝臓はびっくりしかもしれません。

かかりつけの内科での血液検査の諸数値は異常ありませんが、胃カメラ検査とピロリ菌検査を受けました。なんと大きな腫瘍があるではないですか。組織検査結果を待ちます。最悪の事態を考えます。進行中のプロジェクトをどうするか。我が家は曹洞宗だが、不信心の私がこんな小難しい宗旨をいまから理解するのは間に合わない。臨終のときに聞く音楽は前々から決めてあります。フォーレ「ラシーヌの雅歌」です。

この2週間、妻にはガンに違いないので今のうちにうまいものを食べさせろ、いい酒を買って来いと、普段に増して食事を楽しみました。食べる楽しみは不安を忘却させることを知りました。検査結果は「シロ」で、3か月後に再検査することになりました。

「病院で サミットしている 爺7」アキちゃん

「ばあちゃんが オシャレにキメる 通院日」ベラ (第30回サラリーマン川柳)

(スガジイ)

2017年6月9日金曜日

風月雨水

昨夜来の雨の音に目を覚ましうつらうつらしていると山鳩のなく声が聞こえてきます。山鳩は我が家の常連客なのですが、雨の日に来るはずはないので空耳であろうと思いつつ、カトマンズではそろそろカッコウが鳴き始める季節だと思いをはせるのです。
冬の季節には妻が庭に野鳥用のえさ場をしつらえます。夏ミカンや温州ミカンの輪切りが鳥たちのお気に入りで、つがいで来るヒヨドリがまずえさ場を席巻します。メジロは飽きもせずにミカンをつついています。群れでくるのはスズメです。強い鳥の間隙を縫ってえさをついばみます。
我が家から5分も歩くと神奈川と静岡の県境の千歳川に出ます。町内の下水道網を整備したので川の水は澄んでいます。廃棄物が流れることもなくなりました。この川で遊ぶゴイサギは大きさと姿勢の良さでとても威厳があります。カワセミは羽色が美しいことから川の女王といわれます。河口近くになるとユリカモメが群れています。
さて、我が家のお客様は桜の花が終わるころになるとだれとはなしにいなくなってしまいます。山に帰ってしまうのです。そこで繁殖の準備を始めます。この頃近所の低山に行くと鳥たちのラブコールがにぎやかです。若葉のむせかえるなか、自然のエネルギーが肌からしみこんでいくように錯覚します。
510日から「愛鳥週間」が始まりました。
(スガジイ)

2017年6月2日金曜日

クマさん大王の物語 完

16年前の61日、忌まわしい事件が起きました。10人の主要な王族が射殺された王宮の惨事です。
私はこの時東京の本社に勤務しており海外部門の総務的な仕事をしていたので、社員の安全を確保する立場にありました。事件の概要はわかっても真相が闇のままで対策に苦慮しました。カトマンズの街の平静さが唯一安心材料でした。
後日ニューデリーに出張した折に日本大使にお目にかかる機会がありましたが、カトマンズで何が起こっているかとのご下問があり経緯を説明したのちに、「終わりの始まりだな」とぽつりと言われました。2006年に国王の権限を制限され、2008年にはまさに退位に追い込まれたわけです。
シャハ王朝は、1769年にプリトゥビ大王がネパールに覇をとなえた時に緒をみますが、ラナ将軍家が19世紀半ばに権力を掌握した時に統治の一線から退きます。そして、1950年にインドの支援を得て王政復古を果たします。このときインドに亡命していたネパリ・コングレス党の政治家たちが活躍しますが、ネルー首相が王制を排することをしなかったのは、政党が国造りの受け皿となるには時期尚早とみたからと思われます。
パンチャヤト体制というネパール独自の議会システムを経て、1990年に新憲法を制定して議会制民主主義を導入しますが、10年間に9の政権が入れ代わり立ち代わりして安定しません。そしてマオイストの内戦時代に不安な日々を送ることになります。国王が政治の表舞台に再登場しました。和平成立後も政治の不安定は相変わらずです。そして連邦民主共和制の憲法が制定されたのちも政局に明け暮れる諸政党です。
今日、王制時代を良き時代と懐かしみ、再び国王をいただいた国体への回帰を夢見る国民が増えているとのことです。彼らは王政復古を望んでいるのでしょうか。私には、ビレンドラ国王の人柄をしのんで、良きリーダーの出現を心待ちにしていると思われてなりません。
(クマさん大王の物語 完)
(スガジイ)