2017年6月2日金曜日

クマさん大王の物語 完

16年前の61日、忌まわしい事件が起きました。10人の主要な王族が射殺された王宮の惨事です。
私はこの時東京の本社に勤務しており海外部門の総務的な仕事をしていたので、社員の安全を確保する立場にありました。事件の概要はわかっても真相が闇のままで対策に苦慮しました。カトマンズの街の平静さが唯一安心材料でした。
後日ニューデリーに出張した折に日本大使にお目にかかる機会がありましたが、カトマンズで何が起こっているかとのご下問があり経緯を説明したのちに、「終わりの始まりだな」とぽつりと言われました。2006年に国王の権限を制限され、2008年にはまさに退位に追い込まれたわけです。
シャハ王朝は、1769年にプリトゥビ大王がネパールに覇をとなえた時に緒をみますが、ラナ将軍家が19世紀半ばに権力を掌握した時に統治の一線から退きます。そして、1950年にインドの支援を得て王政復古を果たします。このときインドに亡命していたネパリ・コングレス党の政治家たちが活躍しますが、ネルー首相が王制を排することをしなかったのは、政党が国造りの受け皿となるには時期尚早とみたからと思われます。
パンチャヤト体制というネパール独自の議会システムを経て、1990年に新憲法を制定して議会制民主主義を導入しますが、10年間に9の政権が入れ代わり立ち代わりして安定しません。そしてマオイストの内戦時代に不安な日々を送ることになります。国王が政治の表舞台に再登場しました。和平成立後も政治の不安定は相変わらずです。そして連邦民主共和制の憲法が制定されたのちも政局に明け暮れる諸政党です。
今日、王制時代を良き時代と懐かしみ、再び国王をいただいた国体への回帰を夢見る国民が増えているとのことです。彼らは王政復古を望んでいるのでしょうか。私には、ビレンドラ国王の人柄をしのんで、良きリーダーの出現を心待ちにしていると思われてなりません。
(クマさん大王の物語 完)
(スガジイ)