2017年7月28日金曜日

7月28日

ネパールで20年ぶりの地方選挙は第一フェーズが第346州の3州で514日に投票され結果が出ました。
候補者数のクオータ制で、女性とダリット(カースト制での弱者)が優遇措置を受けており、女性は候補者5人に2人と規定されています。開票結果ではクオータ制が不要と思われるほど女性の当選者が出ました。全議席13,400のうち5,44540%)が女性です。大統領も国会議長も女性の国です。
ちなみにこの国の男女平等度は144か国中110位(2016年)です。どこかに女系天皇云々を論争している国がありました。この国は111位です。
いつから女性の地位がこのように高くなったのでしょうか、あるいは真の意味での地位向上なのでしょうか。45年前になりますが、フィールドワークで暮らした東部山地の村では日々の暮らしの中心は女性でした。男性は昼日中博打に興じたり酒を飲んでいます。女性は薪とり、水汲み、畑仕事と大忙しです。女性の財産は金の装飾品で常時身に着けています。これではおいそれと追い出すわけにはいきません。
カトマンズでは様相が変わります。妻を買い物に出さず夫が代わってします。ある晩、拙宅で大勢と食事をしていた時、ネパール人の夫が突然入ってきて日本人の妻を無言で連れ帰ります。遅くまで外で男たちとなんてことだというのでしょう。カルチャーショックですが、ネパール人特有の《嫉妬》深さも感じられます。妻は夫の専有物であり、人格が尊重されないのではないかとさえ思えます。
《嫉妬》は、ネパール社会の合意形成や意思決定にも影を落としています。議論の中で如何にも「正論」風の持論を述べる人がいるのですが、多くの場合本質から外れています。屁理屈を並べて足を引っ張ります。《嫉妬》を隠した敵意のこもった反対論が展開されます。不毛な議論が延々と繰り広げられるのです。
役所の底意地悪い対応ぶりにも、我々外国人はひたすら耐えるしかないのでしょうか。
(スガジイ)

2017年7月21日金曜日

7月21日

623日付の新聞各紙は調理用ガス(LPG の供給が不安定になるかもしれないと報じています。一昨年、長期にわたってインド国境封鎖に伴ってLPGを含む石油製品などが大幅に不足したのが思い出されます。
おりしも地方選挙でマデシ系政党が憲法改正の先送りを理由に選挙ボイコットを宣言してプロビンス‐2の投票日が再延期されました。しかし今回のLPGの供給問題はこれとは関係が薄いように思われます。
これまでLPGのネパールの供給業者の貯蓄所(全国に46か所)までのインドからの輸送はインドの運送会社が請け負っていました。775台が稼働しています。インドの業者に物流を握られているのはネパール側としては不都合があったのでしょう。想像に難くありません。
ネパールの供給業者は輸送の不都合を解消するために自前のPLGローリーを持つこととして、55億ルピーを投じて400台のローリーをインドメーカーから調達し、さらに398台が発注済みとのことです。
供給不安定予測の理由はこういうことです。インドの法律によると、LPGローリーは危険物輸送に関するライセンスをインド保安当局が付与します。ところが外国ナンバーに付与する要件がありません。この調達したローリーはネパールナンバーです。
インドの国内法ですから外国ナンバーの車両への認可は想定していないのかもしれません。インド輸送業者やその恩恵を受けている人からすれば既得権を侵害するものと言えましょう。インドは最近の目覚ましい経済発展の陰に、グローバリズムに反する国内産業の保護政策があります。
それにしても、ネパール人の「思い込み」あるいは周りの「空気を読まない」というしばしばみられるビヘイビャーが出てしまったと残念に思うところです。消費者にツケを回さないようにしてもらいたいものです。
(スガジイ)

2017年7月14日金曜日

7月14日

ダディン郡の村に行ってきました。ククレチョール《ニワトリ村》。来年から始める「小児白内障対策プロジェクト」の予備調査です。 
2015年の地震から2年が経ちましたが、この村のほとんどの家はいまだにトタン板の仮設住宅です。ダディン郡は激甚14郡で2番目に多数の住民が被災認定を受けて補助金30万ルピーの対象になっているのですが、再建に着手したのは7%にも至りません。唯一学校が再建されていました。
Brahma S.J.B. Rana著〝The Great Earthquake in Nepal 1934 A.D" をみてみます。
1934115日午後230分に発生した地震の震源地は、エベレストから真南にインドのビハール州に入ったあたりです。推定マグニチュードは8.0です。ネパール東部・中部の被害が甚大です。死者が全土で8,519人、うちカトマンズ盆地で4,296人と人口密集ぶりがうかがえます。死者の数は2年前の地震と同程度ですが、当時の人口はいまの5分の一です。倒壊建物が207,704戸。ビハールの死者は人口150万のうち7,188人でした。
当時の人が信じていた地震の起因が紹介されています。一つ目は、占星術で7つの惑星が黄道上に近づくと戦争や自然災害が起こる。二つ目は、大地は大蛇や魚の肩が支えているものであり、人の罪が増すとその重さに耐えられなくなってもう一方の肩にかけ替える、その時に地震が起こる。三つめは、この年欧州人がシバ神の玉座であるエベレストの上空を飛行したことを罰したというものです。
地震後の人々の行動を類型化して、1)この世の終わりと考え、最後の晩餐を着飾ってとった、2)意気消沈して何もする気が起きなかった、3)一念発起して困っている人に援助の手を差し伸べた、4)災害時は自助努力が不可欠と考え食料品等の自家製造を心がけた。
私たちにとっての教訓が暗示されていると思われます。救助が受けられるまでの時間は、自分自身で生き延びる術を身に着け準備を怠らないことが肝要ではないでしょうか。
 (スガジイ)


2017年7月7日金曜日

7月7日


65日サウジアラビヤとエジプトがカタールと外交関係を断絶し、他に追随する国が出ました。湾岸産油国はネパールにとって経済の面で切っても切れない関係にあります。サウジとカタールは出稼ぎ労働者の最大受け入れ国なのです。
カタールで働くネパール人は40万人です。カタールの人口の20人に3人にあたります。カタールへの渡航者は一日当たり353人です。
海外出稼ぎ送金はすでに国内総生産の3割を超える規模に達しており、この国の経常収支に大きな貢献をしています。昨年のカタールからの送金は1,690万ルピーで、全体の17%です。生活水準向上への役割は決して小さくありません。しかし、この経済的な恩恵は彼らの大きな犠牲の上に成り立っているのです。
2014/15年度の死者は1,002人にのぼります。国別では、マレーシア427人、サウジ273人、カタール178人です。死因は、循環器疾病が358人、その他病死241人、交通事故119人、作業事故113人、自殺112人です。
病死が6割を占めているのは作業環境が過酷である証かと思われます。いずれの国も日中屋外で長時間作業するのはフィジカルに無理があります。さらに同情を禁じ得ないのが自殺です。なじめない異国で、過酷な労働の末に心の平衡を壊してしまうのでしょうか。いずれの死も、望郷の念に駆られながらの無念な結末であることは間違いありません。トリブバン空港で棺の到着を見るたびに同情を禁じえません。 
出稼ぎの増加は国内に雇用の受け皿が十分でないことですが、産業政策はこれにこたえようとしていません。外資の導入も経済成長を牽引する一方策ですが、投資者の要望に応えていません。その根っこにあるのは政治家、官僚、ビジネスマンの「甘え」といって過言ではないでしょう。
(スガジイ)