2017年7月14日金曜日

7月14日

ダディン郡の村に行ってきました。ククレチョール《ニワトリ村》。来年から始める「小児白内障対策プロジェクト」の予備調査です。 
2015年の地震から2年が経ちましたが、この村のほとんどの家はいまだにトタン板の仮設住宅です。ダディン郡は激甚14郡で2番目に多数の住民が被災認定を受けて補助金30万ルピーの対象になっているのですが、再建に着手したのは7%にも至りません。唯一学校が再建されていました。
Brahma S.J.B. Rana著〝The Great Earthquake in Nepal 1934 A.D" をみてみます。
1934115日午後230分に発生した地震の震源地は、エベレストから真南にインドのビハール州に入ったあたりです。推定マグニチュードは8.0です。ネパール東部・中部の被害が甚大です。死者が全土で8,519人、うちカトマンズ盆地で4,296人と人口密集ぶりがうかがえます。死者の数は2年前の地震と同程度ですが、当時の人口はいまの5分の一です。倒壊建物が207,704戸。ビハールの死者は人口150万のうち7,188人でした。
当時の人が信じていた地震の起因が紹介されています。一つ目は、占星術で7つの惑星が黄道上に近づくと戦争や自然災害が起こる。二つ目は、大地は大蛇や魚の肩が支えているものであり、人の罪が増すとその重さに耐えられなくなってもう一方の肩にかけ替える、その時に地震が起こる。三つめは、この年欧州人がシバ神の玉座であるエベレストの上空を飛行したことを罰したというものです。
地震後の人々の行動を類型化して、1)この世の終わりと考え、最後の晩餐を着飾ってとった、2)意気消沈して何もする気が起きなかった、3)一念発起して困っている人に援助の手を差し伸べた、4)災害時は自助努力が不可欠と考え食料品等の自家製造を心がけた。
私たちにとっての教訓が暗示されていると思われます。救助が受けられるまでの時間は、自分自身で生き延びる術を身に着け準備を怠らないことが肝要ではないでしょうか。
 (スガジイ)