逍遥179 大地震から10年
ゴルカ地震から10年が過ぎた。あの時は、日本で何度も経験した身にとっても恐怖を覚えたほどの揺れであった。オフィスの机の下にかくれようとした途端に、わきの書類棚が倒れてきて下敷きになった。妻は昼食の準備をしていた。
2013年にNPO法人を設立して初めてのプロジェクトをゴルカ郡の学校で実施することとした。児童の眼の健康を守る事業を中心としたプロジェクトである。学校の選択は、日本ネパール女性教育協会が養成した100人の女性教師“おなごせんせい”が赴任している2校である。
一校は郡南部のブリガンダキ川に面したキャムンタールにあるパタンデビ中等学校である。地震で全壊して、少し高いところにある教員室は2階建ての鉄筋コンクリートだが、教室はプレハブである。下流にブリガンダキダムの建設が計画されており、この土地はいずれ水面下になるので仮校舎としている。トイレ等衛生施設も劣悪である。ダム建設は、アクセス道路はできているものの、いつ始まるか見通しはない。おなご先生はスミットラ・ラナ、経歴書には仏教徒とある、ラナはチェトリ・カーストのヒンズー教徒なのに。聞けば父がラナで、村の役所に赴任してグルン族の母と結婚したのだという。グルン族は多くが仏教徒だ。
次の一校はブリガンダキをさかのぼったドバンから左岸の急斜面を登ったフルチュク村のイチャ初等学校である。おなご先生はニシャ・グルン、スミットラと同じピリムのブッダ中等学校の出身。
この道はは2008年と11年にサマ村に行くときに徒歩で通過している。野口健さんの主催するNPO法人セブンサミッツ持続社会機構の依頼で第一期で2010年に教室と寄宿舎、第二期2014年に集会所が完成した。第一期の建築物の地震による被害は軽微であったが、集会所は修復不可能なほど破壊された。設計に際して建築家に要求したのは、現地で得られる資材を使うことと、現地で修復可能な伝統建築を基礎とする2点であった。第一期の建築物はまさに地元の人の手で修復が可能な被害範囲であった。集会所崩壊の原因は、石材の加工をごまかしていたことと、屋根を軽くするために軽量鉄骨を使ったことと思われる。揺れを支えきれなかったとも考えられる。
さて2023年のマナスル街道の話に戻そう。震災からの復興と、道路ができたことによる新たな経済圏の形成を見る旅ともなった。以前はダディン側からブリガンダキをアルガートにわたるにはつり橋であったため、ここから歩き始めた。アルガートはカトマンズ・ゴルカ・ポカラ往還のバザールであるとともに、1970年代初めに自動車道路が開通した後もブリガンダキ経済圏の中心地として重要な役割を果たしている。ソティコーラとアルガートの中間点にアルケットという小さな村がある。道路が奥地に伸びたことによって、ここが流通の拠点として開けている。アルガートももちろんバザールの規模が倍になっているので、前進基地の意味もうすいと思うのだが、アルガートが地形の制約によってこれ以上拡張ができないのかもしれない。
以前はソティコーラに泊まって、次の日にマチャコーラまで歩いた。マチャコーラがブリガンダキに合流するところの数件の店屋がある集落だった。この支流をさかのぼれば2015年大地震の震源地ラプラックである。このマチャコーラ集落が長距離バスの終点になっており、震災後にロッジが多数できて、以前の面影が全くない。
ここからは四駆の小型車が村人の足になっている。ネパールの名だたる温泉地はボテコシ沿い、カリガンダキ沿い、そしてここブリガンダキ沿いのタトパニで、いうなれば元祖三大温泉場である。ここのタトパニの3軒の家屋が全く地震の影響を受けていない。岩盤にへばりついて建ててあるからだろうか。温泉は打たせ湯に浴槽が新設されていた。ここがボトルネックになって道路を拡張できないために小型車しか入れない。
タトパニから15分も走ればドバンにつく。以前の記録を見ると50分歩いている。ドバンの数件のロッジも全壊して新築してある。この先ジャガットまで道路は建設済みだが、ドバンの橋ができていないため四駆のサービスはここまで。
ドバンから左岸の急坂を上って目的地のフルチュクに行くことになるが、村の子どもの足で1時間足らずのところ、スタッフは2時間半、私はなんと4時間かけて村の学校にたどり着く始末。実は、前夜下痢が止まらず全く寝ていなかったのであった。それはさておき、村は全滅、学校も内外の篤志家の寄付によって立派に建て直されている。地震の後ヘリでサマ村の被害調査に行ったが、飛行経路のブリガンダキ沿いの斜面の村々にはブルーシートが目立った。 そのうちの一つがフルチュク村であったのかもしれない。
大地震から8年後の復興状況は考えていたより早いものがあった。ドバンから2日歩くとグルン族の文化圏からチベット文化圏に移る。さらに2日歩いてサマ村であるが、この間の集落も地震被害は大きいものがあったと思われる。復興状況が気にかかる。
(2025年6月13日)