2025年12月29日月曜日

逍遥180 Gen Z運動って何だ? (1)

 

逍遥180 Gen Z運動って何だ? (1)

 

989日のGen Zによる激震から3か月たった。76人もの死者を出す惨事となった。1210日には暫定政権とGen Z代表との間で10項目合意がなされた。日本にいる身としては、あまりに短い間の政治的出来事を限られた情報源で追いかけるのが精いっぱいであった。メディアによっては、出来事をprotestmovementといったりrevolutionと表現したりしている。同一記事でも両表現を混在させている。いったいどんな活動であったのか、少し落ち着いた今、当時のネパール英字紙から、出来事を整理してみたい。

まず、出来事を時系列的にみていく。

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ネパール共産党(UML派)オリ政権は、税制改正に伴う通信事業関連法の改訂による登録を怠ったことを根拠として、FacebookXYou Tube等26のソーシャルメディアプラットフォーム(SMP)を停止する措置をとった。

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NGO Hami Nepalが組織したものや自発的に集まった数万人の抗議集会が当初は平和裏にマイティガルとナヤ・バネソールの連邦議会前で始まる。議会敷地のフェンスを登り始めた集会の一部の者に対し警察部隊が当初は非殺傷武器で対応したが、次第にエスカレートする中で発砲して少なくとも19人が死亡し347人が負傷する。暴徒化した勢力には政党の組織下のものもあったといわれる。暴動は全国各地に広がる

政府は夕刻にSMP停止命令を撤回し、内務大臣が辞任する。また、外出禁止令がカトマンズの他6都市に出される。

99

オリ首相は軍のヘリでシバプリの軍施設に退避する。抗議の群衆が中央政庁のシンガダルバール、最高裁判所、シタルニワス大統領官邸、バルワタールの首相官邸、シン副首相私邸、ネパール共産党(UML派)本部、ネパリコングレス党本部、複数の大臣私邸、バンダリ前大統領、デウバ前首相、カナル元首相、プラチャンダ元首相、ラナ外相等私邸、国会議員私邸等に放火する。地方でも地方議会政治家の私邸が放火される。

民間施設は、カンティプール・メディアハウス、チャンドラギリケーブルカー、CGグループ工場、バトバティニ・スーパーマーケット等が破壊される。

全国各地の刑務所が破壊されて、収容者が逃走する。

軍等の治安部隊が政治家をトリブバン国際空港に避難させ、その後空港は軍の統制下におかれ閉鎖される。農業大臣、保健大臣、ラストリヤ・スワタントラ党の国会議員21人が辞職表明する。

ギャネンドラ元国王が声明を出したことによって、一部の王制復活主張が表面化する。

軍は、深夜、首相不在の間、法と秩序を守るために国家運営に責任をもつ、との声明を発出し、軍部隊の街頭展開への協力をよびかけ、抗議活動団体に協議を求める。

910

暴徒の政府オフィスや政治家私邸への襲撃が依然として続く。軍は武装暴徒からの一部武器の押収を発表する。各地の刑務所襲撃が続き9日の脱走者と合わせ13,500人に上る。

抗議活動に参加する民衆間でオンライン通信ソフトDiscordを通じて、暫定首相にスシラ・カルキ最高裁判所長官を推す声が上がる。同ソフトの利用者は14万人以上になる。

911

ポウデル大統領、軍参謀長官、Gen Z代表が、軍参謀本部で暫定首相選定の協議をもち、Gen Z代表団はスシラ・カルキを主張する。バレンドラ・シャハ、クルマン・ギシン、ハルカ・ラジ・ライの名前があがる。ネパール共産党(マオイストセンター)が抗議団体への支持を表明。

912

スシラ・カルキが暫定首相に就任。ポウデル大統領が議会を解散し、202635日の選挙を表明する。

警察当局が刑務所からの脱走者がいまだ12,500人と発表する。

913

カトマンズの外出禁止令が解除される。市中は平穏を取り戻す。

914

カルキ暫定首相は、平静さと抗議活動に続く再建に協力するよう呼び掛ける。また、放火等は前もって計画されたものだとし、犯罪行為の責任を追及すると述べる。暫定首相の起源は6か月を超えないものとすると明言する。

 

なぜ政府はSMPの停止措置をとったのか?

1990年の第一次民主化運動以降、権力の座にある政治家たちは変わらない顔ぶれである。当時まさに働き盛りであった彼らも、すでに老齢の域に達している。ネパールの年齢中央値は25歳で、まさにGen Zと重なる。彼らにとってソーシャルメディアのない日常生活がいかなるものか、古い世代の政治家は気づくことはなかったのであろう。ちなみに、ソーシャルメディアのアカウント普及率は48%でお隣のインドの33.7%より高い。

この頃ソーシャルメディアでは政治リーダーの子息や親族が特権を利用したビジネスを享受し、庶民には手の届かない処遇を受けているという縁故主義が横行して、これらの人々をNepo Kid’と称して拡散されていた。これを嫌った停止措置といわれている。また、国内経済の停滞によって雇用の拡大が望めず、海外出稼ぎに頼らざるを得ない状況に若者のフラストレーションは高まっている。

権力者はSMPの停止によって事態が収まると考えたのだろうか。お隣の国と同様な統治手法で政権を維持できると考えたのだろうか。確かにこの国には絶対王制時代の残滓がある。70年代には王室の話は小声でしなければならなかったし、マオイスト内戦時代も同様であった。かつて郡長官(CDO)の権力は絶大であった。

地方分権化後の選挙で選ばれた首長たちがとてつもない権力を獲得したかのようにふるまっているのをしばしば見かける。私は民主化によって‘petit raja’(小さな王様)がたくさん生まれたと揶揄している。ネパールのビジネス社会ではトップの権限は絶大であり、No.2にトップの座を脅かす優秀な人材を置かないのが常である。最近の日本でも超優良企業が同様の弊害を除去できずに苦しんでいるのを見る。

教訓は「権腐(けんぷ)十年(長期に権力の座にいれば腐敗する)」と戒めている。  

 

20251220日)