2019年8月11日日曜日

逍遥 湯河原・カトマンズ #123


その後のBuddha Boy

52日は仏誕節であった。Buddha Boy’の話である。200511月に、カトマンズの真南のインド国境のバラ郡ラタナプリ村で、釈尊の生まれ代わりという16歳の少年が6ヶ月間も飲まず食わずの座禅修行をしていると話題になり、仏教信者のみならず多くの人が参詣に訪れた。少年の額からは光が発せられているともいう。ジャングルの村は一変してバザールに変貌した。この少年は1989年生まれのラム・バハドゥル・ボンジョンで、出家後はパルデン・ドルジと呼ばれている。母親の名は、釈尊の生母摩耶夫人と同じマヤ・デビ(タマン)である。パルデン少年はインドとの国境の村でソム・バハドゥル・ラマのもとで修行に入り、ルンビニに続いてインドのウッタールアンチャル州のデヘラドゥンで修行した後帰村し、20055月に村のピーパル樹の下で座禅を始めたといわれている。
さて、人間が飲まず食わずに6ヶ月も生きられるのだろうか。普通の人間なら34日で脱水症状をおこして死亡するといわれている。このような下司の勘繰りをするのは筆者ばかりでない。ルンビニ開発基金や王立科学技術アカデミーは調査団を送った。政府の科学技術省も調査団の派遣を検討している。しかしながらいまだに何も解明されていない。夕の5時から翌朝5時まで彼の回りは囲いで隠されてしまうので、この間に食べているのだと想像されている。後に彼は、修業期間中は薬草を食べているといっている。
さて、この少年がふたたび話題になったのが、昨年311日に突如として行方不明になってからである。誘拐説、隠遁説等新聞紙上をにぎわせた。19日に3km離れた場所で仏教団体幹部たちが会った際に「この場所は修行するにふさわしい平和的環境にない。……6年したら戻るので心配しないで」といっていたという。そして、護身用の短剣を持ったパルデン少年は1225日に数人の狩人たちによって発見された。彼の修行の場はふたたび信仰目的の人や興味本位の人たちによって取り囲まれることになった。仏陀少年への喜捨が、マオイストに流れたとか少年の支援団体の銀行口座が当局によって凍結されたとかの生臭い話がついて回るのが如何にもネパールらしい。

以上は以前私が発行していたニュースレター「カトマンズ今日この頃 *ビスターレ・ジャノス*」第8号(20076月)のエッセイの一部であるが、520日づけThe Kathmandu Post紙にこのBuddha Boyが〈復活〉の見出しで久々に登場した。

Buddha Boy (Ram Bahadur Bomjan) は行方不明になっている5人の信者の家族から警察へ訴えられているという。また異論を述べる信者への暴行や、セクシャルハラスメントも訴えられている。警察は14日にシンドゥパルチョウク郡のアシュラム(修行場)を捜査したが見つからなかった。その後519日にシンドゥリ郡のアシュラムに大勢の信者とともに現れたのである。郡警察のトップは上部機関からの指示がないので何ともできないとしている。

Buddha Boyから14年たったボムジャンは30歳だ。新聞の写真を見ると端正な顔つきの大人になっている。数年前にインドで活躍しているタマン族の青年が投票でインドの一番人気のある俳優に選ばれたが、彼をとよく似た風貌である。多くの信者が集まるようである。聖者としてふるまっていく中で独裁者になってしまったのか。14年の月日が彼をどう変えていったのか興味深い。儀式化した既存の宗教では救えないものを求める人たちがいるということであろう。キリスト教への改宗者も多いと聞く。この国で急激に増大する経済格差も一因かもしれない。

2019615日)