2016年11月18日金曜日

ヒトのあじ

かつての国営電話会社から電話がありました。光通信の勧誘です。

代理店から詳細の連絡がありました。詐欺電話かとも疑いながら話を聞くと、そうでもなさそうです。申し込みが多数あるので工事は一か月後になるといいます。早くできないかと交渉するうちに、代理店氏は「こっちから頼んでいるのではない」とブチ切れてしましました。

家の近くにおいしいラーメン屋があります。

日本にいると一度は行くのですが、今回何か違和感がありました。曰く「これより先立ち入り禁止」、「水のポットは所定の位置より移動しないこと」。門切り型の張り紙のせいかもしれません。表現力の貧困なのでしょうか、あるいは傲慢なのでしょうか。

芥川賞受賞作の『コンビニ人間』を塩野七生さんが文芸春秋11月号の巻頭エッセイでこのように評していました。

《マニュアル化された事柄だけをやっているだけでよいという心地良い安心感と、それと裏表にある、「個」が存在しない世界の索漠さ。》

またこのようにも述べています。

《責任感とは感受性の問題であり、感受性とは相手の立場に立って考えることでもあるから、想像力の問題でもある。つまり、究極の人間的な「味付け」だ。》

ひょっとして、自分や自分の世代の話ではないよねと一瞬立ち止まりましたが、これってすでにマニュアル人間的発想かと思いを致した次第です。

(スガジイ)