2017年3月10日金曜日

Himalayan Black Snow

菊池法純さんの論文『藤井日達上人のネパール開教と王制崩壊』に主題とは離れてもう一人興味ある人が登場します。マヘンドラ国王の秘書として信頼の厚かったロク・ダルシャン・バジュラチャルヤ氏です。国王の命により憲法制度の研究のため日本に派遣されます。

ラナ専制から王権を取り戻し、父王の後を継いだマヘンドラ国王は、議会制民主主義を試みますが、未成熟の政党間の混乱を理由にクーデターによって政党なき議会政治を確立しました。ロク・ダルシャン氏の派遣はこのころのことです。マヘンドラ国王は、このころすでに、象徴天皇をいただいた日本や英国のような立憲君主制国家の構想をお持ちだったのでしょうか。国王亡き後の王室内の統治形態の路線をめぐる争いがあったといわれますが、民主化後20年来の政治の混迷を思うとき、歴史のアイロニーを感ぜざるを得ません。
そして、今また国の統合の象徴としての国王待望論が出てきたのは、単なる国民のノスタルジーばかりではなさそうです。

ロク・ダルシャン氏はその後マヘンドラ国王に遠ざけられたものの引き続き宮務についており、引退後も最近まで日本大使公邸の天皇誕生日レセプションでお会いしていました。

氏の隠れた一面は、日本の登山界の面倒を見られたことです。当時は、《一季一山一隊許可》の原則があり、ヒマラヤ登山を志す人は日本山岳協会の推薦を得て、日本大使館経由でネパール外務省に許可申請をしていました。人気のある山の許可をとることが難しい時代でした。「ヒマラヤの雪は黒い」などと言われたのもこのころのことです。

(スガジイ)