2019年5月21日火曜日

逍遥 湯河原・カトマンズ #118


ロルパのおなご先生

バムクマリは子供のころ左目を失明して義眼を入れている。去年の9月に定期健診でカトマンズに来ていたところをティルガンガ眼科病院で会い、彼女の村まで行くことにした。ロルパ郡のリバンでさくら寮同期生のカマラと一期先輩のダンクマリに会う。三人で教員資格試験の勉強を行うという。

「おなご先生」は、NPO法人日本ネパール女性教育協会(会長:山下泰子文京学院大学名誉教授)が開発の遅れている西部の村から女子の旧SLC合格者を募り、ポカラのさくら寮で共同生活をしてカニヤキャンパスにおいて2年間学び、卒業後に郷里の村の学校に教員として奉職するプロジェクトである。これまでに100人のおなご先生を送り出している。

モンスーンで道が寸断されていたため11月に出なおした。バムクマリの学校までは幸い四駆車で入れた。校長はすでに私たちの目のプロジェクトを承知していてくれて4人の目に疾病のある生徒を集めておいてくれた。2人は角膜に傷があり、他の2人と合わせてカトマンズで検診を勧めた。

ダンクマリの学校はここから山道を3時間歩いた。5年生までの小さな学校である。すっかり日が暮れてしまったが、校長先生は生徒を残しておいてくれた。ここにも角膜を傷つけた生徒がいた。バムクマリの実家は学校に隣接している。彼女は結婚したばかりで夫の実家に行っているという。

囲炉裏端で食事の準備を待っていると、父親が鶏とククリ(ネパール鉈)を持ってきてしめろという。私は子供のころからガキ仲間でのカエルの解剖もできない臆病者である。客人にこの役割をさせるのはマガール族の礼儀だそうだ。私はマガールの家庭で食事をごちそうになるのは初めてだった。

翌日はロルパ最奥の村タバンに行った。マオイストが臨時革命政府を樹立した村である。ここに日本人の医者がいるというのである。石田龍吉先生にお会いした。60歳の定年を機にネパールでの活動にふみきって11年になるとおっしゃる。若いころには岩村昇先生の薫陶を受けている。この村に小さいが入院施設も整ったクリニックを始めて5年。自動車道路もあるがモンスーン期には不通になる。マオイストが拠ったところだけあって外部から侵略しにくい要害の地である。2-3年のうちには25床に拡大するという。

この晩はバムクマリの家に泊めてもらった。バムクマリが兄嫁を差し置いて一所懸命食事の支度をしてくれる。素朴な食事であったが懸命さが味を増した。お茶は野草のハーブティである。バムクマリは学校まで1時間歩くが、朝早く起きて牛やヤギの草を刈ってから出かけるという。ネパールの女はみな働き者である。最近幼馴染と結婚した。新郎は結婚のため海外出稼ぎから帰ってきたが、またすぐに出かけて行った。

2月にロルパ郡の6人を含めて34人の目の検診をカトマンズで行った。2人は親の承諾が得られず来ることができなかった。バムクマリが「このままにしておくと自分のように片目をなくしてしまう」と説得したが、親は「カトマンズに行くとあんたみたいに目を取られてしまう」と拒否したそうである。マガール族など山地のジャナジャティ(先住民族)の間ではいまだに〈ジャンクリ〉という祈祷師に病気治療を頼るひとがいる。47年前にオカルドゥンガ郡ルムジャタール村で「病院は死ぬところだ」といって祈祷師を頼った老女を思い出した。