2020年6月22日月曜日

逍遥 湯河原・カトマンズ #143

コロナ禍の中で (5

 

611日関東地方に梅雨入り宣言があった。湿気が肌に感じるようになる。部屋の窓も開け放している。庭のアジサイの満開の花が鮮やかだ。クチナシの甘い芳香が漂う。隣のサンゴジュは伸び放題に伸びて白い花を木いっぱいに咲かせている。庭の片隅の萩の花が咲いているが秋のものとの先入観がある。

 

カトマンズはモンスーンに入っただろうか。テライのモンスーン前の暑さは尋常でない。この時期熱射病で多くの人がなくなる。ましてや新型コロナ感染拡大の最中である。私の小児眼科プロジェクトの地方の協力者たちと連絡を取る。バンケは早い時期に拡大したので気になる。先に本稿で書いたがプージャ・カルキにメッセンジャーで連絡を取った。郡別でロウタハット郡に次いで感染者の多いカピルバストゥ郡のスジャータ・アチャーリヤは彼女の学校がインド出稼ぎ者の帰還時の一時収容所となっているという。国境の入国管理所には3千人以上の帰国希望者が一時待機しているようだ。

 

山地のダイレク郡の感染拡大がすさまじい。61日から2週間で416人の感染者が報告されている。医療施設が十分でないところでいかに過ごしているか心配である。ミナ・アチャリヤからは周囲は無事である旨連絡が来た。アータビス市のバザールにはチャヤ・マジ、アニタ・クマリ・マッラ、アンビカ・マジがいる。バンケからスルケットからカリコット、ジュムラ、ムグ、アッチャム郡に抜ける街道筋であるところ、まさにウイルスの通り道といってよい。このバザールにはプロジェクトで手術をした子もいる。母の胎内での発育過程に起因して視力が弱く一人では行動できない子もいる。ミナには手洗いの励行とマスクの着用をアドバイスすると、すでに励行しているという。彼女は沈着冷静な性格なのでこのような事態にも子供たちを無事に導いてくれることだろう。

 

ネパールで感染者第一号が認められたのは123日である。9日に武漢から帰った31歳の学生ということだ。インドの第一号は130日である。ネパールのケースは南アジアで最初の感染者だ。二人目の感染者は327日にカイラリ郡で見つかっている。三人目がバグルン郡である。その後ビルガンジを含む隣接三郡で、またネパールガンジを中心に確認されている。5月初旬にはテライのすべての郡で感染が広がった。

 

510日ごろから感染者が急激に増加する。6月に入ると710日間で倍増のペースになる。インドで職を失った出稼ぎ者の帰還がウイルスを持ち込むのだろう。インドはむしろ南部の諸州で感染が拡大している。マハラシュトラ、タミルナドゥ、グジャラート、デリーの四州で全国の7割弱を占めるが、インド政府が都市封鎖を緩和し、鉄道を再開したことも移動を容易にしたと思われる。 

 

五月下旬までの感染者を性別、年齢別でみると、1545歳が圧倒的に多く、しかも男性である。これらからインド出稼ぎ帰還者とみるかは確かではないが、45歳以上で男女の比率がほぼ同数であることから類推は可能と思われる。地域的に見ても西部のテライでの感染のスピード、出稼ぎ者の多い山地部の地域的に偏った増加を見るとこれを裏付けているかと思われる。西部ではじわじわと山地に感染が広がっているのが不気味である。

 

さて、ネパールのロックダウンが緩和されたとはいえ日本人会の皆様におかれては日常の不自由な生活の中で会の運営に腐心されていられることとご苦労に思う。そのうえで64日付のニュース臨時号の「チャーター便の運航見通しについて」に私の感じたところを述べたい。私の会社員時代の仕事のフィールドは一貫して途上国であった。会社の教えるところは〈自分の身は自分で守れ〉である。多くの国で政治が不安定な時代にあって、「常在戦場」の心構えを求められた。

 

定期のニュースの一日前である。取り急ぎ会員に決断を促したものと理解できる。会員には組織から有期で派遣された人もいれば、拠点をネパールに置いている人もいる。できれば日本で災難をやり過ごすほうが望ましいと思うが、離れることが困難な事情のある人もいるに違いない。自助で対処ができない事態に備えて、国の公助を求める前に日本人会として準備している共助があると思われる。早めに公表したらいかがだろうか。ニュースについて複数の在留邦人から不安の声が寄せられた。

 

ネパール政府には首都圏への感染拡大を全力で阻止していただきたい。一極集中の政治経済が混乱をきたせば国の統治は困難になる。平時ではない、 これまでのように支援の手を差し伸べる余裕のある国は少ない。

 

2020615日)