2017年9月22日金曜日

9月22日


前回はナシ、カキのことを話しましたが、ジュナール(柑橘類)を語らなければ片手落ちになるでしょう。

ジュナールを初めて食べた時、その香り、ジューシーさにすっかり虜になってしまいました。当時はカトマンズの市場にたくさん出回っていたのですが、最近はとんと見かけません。

ジュナールはネパールの在来種ではありません。鎖国時代に政府高官が外国からひそかに持ち帰ったという話を聞いたことがあります。1971年に始まった『ジャナカプール農業開発計画(JADP)』は当時のジャナカプール県をテライから山岳部までを対象地域としていました。1976年にシンズリ郡で栽培されていたのをJADPの専門家が見つけて、のちに始まる『果樹開発計画(HDP) 』の対象果樹となりました。

シンズリ道路を北へ越えた北東斜面にシュレスタさんのジュナール農場があります。彼のお父さんがカブレのバネパからこの地に移住したのだそうです。近隣の農場と異なるのは、苗木の生産をしていることです。HDPが日本のカラタチを台木とした接ぎ木技術を教え、ウイルスフリーの苗木の量産化が可能になりました。

シュレスタさんはジュナール栽培技術を富安裕一さんから教わったと誇らしげです。富安さんは青年協力隊時代にカカニでダイコン栽培の普及に成功して、ダイコンは市場で「富安大根」と言い慣わされていました。ジュナール栽培で富安さんは15年間で100回以上の農村での巡回指導をしたそうです。富安さんの指導した技術は地元の篤農家に脈々と受け継がれています。

シンズリのジュナール組合では日本の援助でジュナールの冷蔵貯蔵庫を建設しましたが、おりしも電力不足で使われないままになっています。一方、シュレスタさんはエネルギーを使わない日本の伝統的な温州ミカンの貯蔵法を習得し、春の高値出荷に成功しています。

さて、ジュナールがカトマンズの市場に出回らないと言いましたが、それもそのはずです。インドのジュース業者が零細農家のジュナールを青田買いしているのです。農家にとっては出来高によらない安心感があるのでしょうが、適正価格が維持できないなかで農家経営が委縮しないか心配です。

(前回と今回は、JICAネパール事務所発行島田輝男著「日本人によるネパール農業開発協力の一断面」2006を参考にしました)

(スガジイ)