2017年9月1日金曜日

9月1日


標高4,000mのランシサカルカにてテントで2泊しました。一晩は星が降るように満天に輝いていました。ヤク(チベット牛)たちはどこをねぐらにしているのか周辺に見当たりません。

キャンジンゴンパのロッジに戻ります。チャン(ドブロク)がとてもおいしい家です。アルコール度数の高い上質の日本酒を飲んでいるようです。ストーブの周りで、だんだんと話がはずんできます。

主人チョテン・ラマ(45歳)は父親の跡を継いだゴンパの僧です。聖と俗の掛け持ちです。この村に専従の僧がいないのは歴史が新しいからでしょうか。1959年のチベット侵攻で逃げてきた人たちです。

やおらチョテンが懐から千ルピー札の束を出します。にやにやしながら「俺がバザールで稼いできた」と誇らしげです。何度も出し入れします。それをかわいげに見ている大柄な女性が50歳の年上の女房です。いかにも女将という感じです。この主人は下流のゴンパにも同名のロッジを持っています。なかなかの事業家と見ました。チベット族は家を妻が守り、夫は外で稼ぐのだそうです。

調理場を仕切っているのが主人の姉です。4人の子供の母で次女(20歳)が手伝っています。旦那さんを地震でなくしました。往路キャンジン村の入り口で待っていたのがこの人でした。ランタンから電話連絡があった由。商売上手です。

次女に「そろそろ嫁にいく歳ではないか」と尋ねると、チョテンが「村には若者がいない」と言います。確かに村外から来た建設作業員のほかに若い衆がいません。就学年齢の若いものはみなカトマンズのボーディングスクールで学んでいるのです。村に帰りません。

結婚相手はというと他民族のタマンやチベット族だと中国領の国境の町ケルンあたりの人になるようです。ケルンのチベット族の料理は辛すぎてかなわんと言います。まかない料理を見ていると、すっかりネパール化しています。

村は建設ラッシュです。さすがはビジネスに聡いチベット人だけあって、自力で再建しています。チョテンのロッジは1,000万ルピーかかったそうで、資金は姉さんから借りたといいます。すぐに融通できる人もすごいが、投資を決断するチョテンも偉いものです。

地震で三分の一以下に減ったトレッカーが復活する日も近いと感じました。

(スガジイ)