2016年7月1日金曜日

エデンとジョッチェンのころ

1970年代のカトマンズは静かな街でした。夜も8時になると人通りが途絶えます。街路樹もずっと多く、空気も信じられないほど澄んでいました。


ラジンパットには日本の若い言語学、民族学や宗教学の研究者がたむろし、その近くにあったカルカッタ華僑の流れをくむワンさんの中華料理屋が、ネパール料理に飽きた《味覚》の憩いの場でした。


タメルも今の賑わいはありません。

《ヒッピー》は死語になりつつありますが、外国人安旅行者はむしろバサンタプールを好みました。ヨーロッパ・カトマンズ間の大陸横断バスが頻繁に行き来していました。アフガニスタンが平和だった時代のことです。


(スガジイ)