2017年12月22日金曜日

12月22日

カオリンの『Momoのつぼ隊員体当たりレポート」は回を追うごとに絶好調で、読みながらよだれが出てきそうな描写です。『事務局だより』とともにHPを大いに盛り立てています。『スガジイ』もそろそろ戦力外通告されそうです。

そこで、Momo(チベット=ネパール蒸し餃子)の懐メロ版かくありきとご紹介します。時は19725月、ところはタヒティチョウクとチェトラパティの中間、現在の「居酒屋Raku」の近くで、ネワールの伝統的な4階建て長屋、その3階のアン・ラクパ・シェルパの居室です。

ディリバザールにあったタカリー族のスッバ(地方長官)インドラ・マン・セルチャン経営のラリーグランスホテルで同宿だった高久幸雄さんと知り合いました。高久さんはアンナプルナII峰の偵察登山できていました。同じころ旅行に来ていた多美子さんとはその後結婚してVan Vanレストランを経営します。

高久さんの登山用品買い付けにお供をしてアン・ラクパに出会います。そのころ彼は数少ないサーダー(シェルパのチームリーダー)でした。前回登場したソナム・ギャルツェンなどは実力はあるもののまだまだ若手の域を出ません。腰は低いのですがなかなか商売上手なのもシェルパ族のDNAを受け継いでいます。

彼は何度かシェルパ料理をごちそうしてくれました。ネパールのダルバート(野菜炒め、豆スープ、ご飯の定食)に飽き飽きしていた舌にはどの料理もおいしく感じます。中でもMomoは絶品といっていいでしょう。少し厚めの皮に小籠包を小さくした形で、アンから肉汁がじわっと垂れてくるのです。今どきのようなソースはなかったような気がします。

その頃はまだまだネパール人の間にMomoが知られていない時代でした。タメルチョークの近くのチベットレストラン「ウッツェ」に本家チベットMomoがありました。チベット難民の経営で今の「ウッツェホテル」の前身です。このホテルで「ギャコック鍋」を頼むとついてくる餃子が昔のままです。オヤジはホテル経営を娘に任せているものの、レストランには奥さんともども元気に顔を出しています。


カオリンが生まれる前の「元祖Momo話し」でした。

(スガジイ)