2017年12月8日金曜日

12月8日

このコラムで時々数字を使います。前回のPM2.5の話題でも引用しました。数字は物事を比較するのにとても便利な道具なのです。しかし使いようによっては無味乾燥なシロモノに映ります。

私は自分では論理的でなく情緒的な性格と思っています。中学3年の2学期に突如数学の解き方がわからなくなり、それ以来数字がとても怖くなって嫌いになりました。とてもショッキングな出来事であり、トラウマとなっています。

サラリーマンを経験された皆さんはいつの時代が楽しかったとお考えですか。私は何といっても平社員時代でした。現代のように残業時間管理も厳しくなく、毎日深夜帰宅の状態でしたが、任された仕事の結果を見るのが快感でした。失望も随分味わいましたが。

管理職になると不快な仕事が増えます。部下の管理は大嫌いでしたし、上司との夜の付き合いには辟易としたものです。何よりも事業の結果は数字で出てきますが、数字のプレッシャーは耐え難いものがありました。部下の業績評価の点数付けほどつらいものはありません。

カトマンズで日系企業の経営相談にあずかり決算分析や期中の数字の意味合いを指導するようになると、やはり数字があまり好きではないネパール人の幹部に生き物としての数字を教えるよう腐心することになります。自分の現役時代にこのことに気づいていればもっと楽しく仕事ができたかと後悔するばかりです。

さて、スポーツの評価はすべて数字で結果が示されます。ゴルフなど打った数を競う単純なゲームです。ところがカウンティングが曲者なのです。スコアを意識するあまり、特に終盤になると残りホールをボギーで上がれば100が切れる90が切れると数え始めます。途端に平静心を失い結果は惨めなものになります。

今年日本で4回プレーしました。どのコースも美しくて、歩くだけで気分がよくなります。コンペでもスコアは気になりません。とにかく無心のプレーが楽しいのです。

数字とは今後も付き合わざるを得ませんが、数字に拘泥して物事の本質がゆがめられないように気を付けたいと思うこの頃です。

(スガジイ)