2018年1月27日土曜日

1月26日

平成30年の今年は《明治150年》にあたります。NHKの大河ドラマは「西郷(せご)どん」です。薩摩の人々は今でも郷里の英雄は西郷隆盛であるそうです。大久保利通といおうものならとんでもないと叱責されるといいます。

確かに西郷は江戸の無血開城を成し遂げ、新政府に入れられなくなった時に身を引いて華々しく散った、こんなところが魅力かもしれません。私は大久保の清濁併せのんで国家の近代化にまい進した姿も好きです。

世界は帝国主義の真っただ中で、日本も西欧列強の植民地化の危機にあったまさに弱肉強食の時代でした。徳川幕府の統治力に衰えが見えた時、薩長を中心とした地方の雄藩が立ち上がって旧体制に挑戦し、新国家建設に成功した革命でした。

日本の維新は地方分権的な幕藩体制から、中央集権的国家体制へのシステム転換ですが、ネパールは今この逆の地方分権化へ舵を切ったところです。市町村首長はすでに職務につき、7人の州知事も先週任命されて任地に向かいました。新憲法の規定では2月初旬には初の州議会が招集されます。

早速、知事たちの嘆きが聞こえてきます。ある知事は「仕事の法的行政的基本を習得するため」カトマンズに帰ってきました。他にいわく「仕事を習得する環境を整えてくれ」、「25人のスタッフが必要だが13人分の事務所スペースしかない」云々。

中央政府は地方政府の職員を中央から派遣することにしていますが、任官拒否をあからさまにする人たちですのでうまくいくか心配です。政府も希望退職のかたちをとって「首にするぞ」と脅しています。カトマンズに親しんだ人にとっては地方の不自由な生活はつらいものがあります。子供の教育のため単身赴任する人も多く見かけます。

地方には人材が少ないのです。しかし、ネパールの地方分権成功のカギはエキスパートの派遣で済むものではなく、地方の『民度』を向上させることにあります。教育や経済のレベルをいかに上げるかにかかっています。

いつまでも気に入らない施策に対してバンダ(ゼネスト)や暴力で抗議するばかりでは分権化の実を自ら放棄するようなものです。住民がはぐくむ地方分権があってこそカトマンズとの格差を解消する原動力になるものと思われます。

明治の近代化は『廃藩置県』という既得権の喪失を乗り越えて実現しました。植民地化の危機感をばねにして、国のリーダーと国民の共有しえた『国のかたち』があったに違いありません。


(スガジイ)