2018年3月2日金曜日

3月2日


中西部のスルケット郡で9歳のダリット(職業カースト/不可触賤民)の少年が上位カーストの家の台所に足を踏み入れたとして家人に棒で打擲されたという新聞報道がありました。

私も、ネパールに来て間もない頃、山村の家でカマドに近づいたとして注意されたことがあります。この家のカーストからすると日本人は低位に見られていたことを知ったのでした。また、カトマンズの茶店で、店の外で食べ物や飲み物を受け取っている人を見て怪訝に思ったものですが、バフン(最上位僧侶階級)の知人がさも嫌な顔をしてダリットだと教えてくれました。

インド起源のカースト制度(四つのバルナ:色)がいつネパールにもたらされて定着したのでしょうか。ラナ執政は1854年にムルキ・アイン(民法典)でカースト制度を明文化しました。

近年の国勢調査から分かりますが、パルバティヒンズーがごく少ないカースト階級数であるのに対し、インド国境のマデシ(テライのインド起源の人たち)のカーストは複雑です。また、カトマンズのネワール族も独自のカースト制度を持っています。

もう十年も前になるでしょうか、マオイストの内戦も一段落した頃です。人権擁護派の活動家が、ネワールの職業カーストにあたる人たちに、差別から立ち上がろうと共闘を持ちかけました。彼らはこの呼び掛けを厳然と拒否します。もはや我々は被差別民ではないと。彼らは既にビジネス界で成功していたり、高級官僚になっていたのです。

この度の地方議会、国政選挙ではダリットに一定の議席が割り当てられました。バディの女性が第7州議会議員になりました。バディの女性はある職業を生業としており、民主化の時シンガダルバール(中央政庁、議会)の高い門扉に下着姿でよじ登り「あんた私を知らないって言うの?」と国会議員に罵声を浴びせた勇ましい人がいたものです。

第5州議会ではタルー族の元カムラリ(農奴)の女性が、解放令により小さな自作地を得て自立し、この度の選挙に当選して副議長に就任しました。

1962年にカースト差別撤廃の法令が制定されました。とはいえ、役人の9割が上位カーストで占められています。同じ統計で見ると教育機会均等が大事なことがわかります。

人間の内面の問題は変わるのに時間がかかりますが、遅れてヒンズー文化に接触した社会から変容が始まっているように見えます。

(スガジイ)