2018年2月9日金曜日

2月9日


2月に入って暖かさを感じるようになりました。春がすぐそこまでやってきたようです。湿度も上がってきたと見えて、盆地周囲の山がかすむようになりました。シバラトリ祭、ホーリー祭を過ごして初夏になります。トレッキングの虫が騒ぎ始めるのもこの頃です。

126日にエリザベス・ホーリーさんが亡くなりました。94歳でした。日本の古い登山家からは「ホーリーおばさん」と呼ばれ親しまれていました。私は1973-75年に日本大使館で登山担当をしていたので、登山隊のインタビューにずいぶんと付き合わされました。75年の田部井淳子さん率いる女子エベレスト隊の登頂後には、女性初の登頂ということで内外記者の会見の場を設けるようアドバイスを受け、その結果世界中にビッグニュースが流れました。

ホーリーおばさんは1959年にタイムライフ社の特派員としてカトマンズを訪れ、翌年からカトマンズに在住され、のちにロイター通信の特派員をしています。ネパール人ジャーナリストのメンター的存在であり、ネパールのジャーナリズムの基礎を作った人と称賛されています。とりわけ登山には多くの関心を割き、60年代から80年代にかけて彼女の取材を受けなかった登山家はほとんどいないといってもいいでしょう。ヒマラヤ登山のデータベースは膨大かつ詳細なものであり、「ひとり所長ヒマラヤ登山研究所」といわれていました。

また1953年にエベレストに初登頂したエドモンド・ヒラリー卿が1960年代半ばに設立したヒマラヤ基金の運営を手掛け、クンブ地方に病院、学校、橋等の建設や植林、シェルパの子弟への奨学金事業等を実質的に切り盛りしました。
観光分野では、1965年にジョン・コプランがネパールで初めて建設したエコ・ツーリズムあるいはアドベンチャー・ツーリズムの拠点ロッジであるチトワン国立公園のタイガー・トップスの経営にも参画し、山岳ツーリズムと並ぶネパールの新しい観光分野を開拓しました。

私がお会いしたのは2003年のエベレスト登頂50周年レセプションが最後かと思います。若い時と変わらずに旧知の登山家たちを次から次と取材していました。その30年前にカトマンズの街を淡いブルーのWVビートルを自身で颯爽と運転していた姿と鮮明に重なりました。

ご冥福をお祈りします。

(スガジイ)